ホンモノの願いと、ニセモノの願い

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

私はずっと
アクティブな人と言われてきて
やりたいことを自由にやってるよね
そんな風に言われてきた

本人としては
なんとか自分の生きる意味を探して
必死にもがいているから

自由にというよりは
溺れないために必死、
って感じだったんだけどね

でも、傍から見てる人からは
自由にお金も時間も使えていいねー
若いから体力もあっていいねー
なんて言われてたよ

会社員で1ヶ月ケニアに行ったり
あんまりできないかもしれない
(あれって休職扱いだったのかなぁ)
しかも2回行ったし、
間に2週間のトルコも入ってるw

確かに、少しの時間とお金はあって
特に不自由なかったはずだけど
なーんか、生きることが窮屈に感じていた

いつも、追い立てられるような気がして
落ち着くとか、休むってことが、出来なかった

好きなことを仕事にしようなんて
カメラマン目指したこともある
けど、平日会社員、休日は結婚式場や
イベントの撮影で体力が持たなかった

やりたいことを頑張ると
体調を崩したり
身体がつらかったり
辞めざるをえない状況になっていった

頭は、やろうって言ってるんだけど
身体は、やりたくないって言ってた

あれはねぇ、やっぱり
ニセモノの願いだったんだよね

ずっと「なにか」になりたくて
ならなきゃいけなくて
でも「それ」が、なんなのかわからなくて
ずっと「それ」を探してた

わからないから
闇雲に手を出してみては
違ったと方向転換をして

ずっと走り続けて
疲れ切ってしまったんだよね
これが35までの私の人生だったよ

根本的に間違ってたの

世界のどこかに
自分ではないどこかに、答えがある

そう思ってたけど
本当は、そんなところに
答えはなかったんだ

だからもし、今
それがあれば幸せになれる
と思って何かを探してるなら

残念ながらそれは仮の望み
ニセモノの願いだよ

いっときは、満たされて
満足するかもしれない

しかしすぐに、足りない
もっと欲しい、これじゃない、と
矛先を変えて走り始める

私は、好きなことをやってもやっても
決して満たされることがない
終わりなきレースを走っていた

それは、穴埋め作業だったから
(はい出てきたよ、穴の話

他人に埋めさせるだけでなく
自分の穴すら、何かで埋めたがる
もう、ただの穴埋めおばさんです

この辺の記事もどうぞ

この、ニセモノの願い=穴埋め
の図式は、あらゆるところでお目にかかる

例えば「結婚したい」とか
「彼氏欲しい」が
穴埋めである場合

自分の穴は、何かと探ると
寂しさや、稼げない、だったりする

そのまま突っ走っても
なかなかうまく行かない
だって、他人に穴埋めさせようとしてるんだもん

私の場合は、
自分でその穴埋めを頑張ってた
自分の穴だとも気が付かないまま

コメント

  1. […] […]

タイトルとURLをコピーしました