マスクで隠されたものはなんだろう?

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

先日、夫さんとランチをして
散歩でもしようかと歩いていると
向かいから来た年配の女性に声をかけられた
(よく、道を聞かれる人)

「恵比寿駅どちらですか?」
「あぁ、このまままっすぐ行くと左手です」
と返事をすると

「渋谷のライフから歩いてきたの
店員にとても腹が立って…」

渋谷のライフからは、なかなかの距離がある
「あら、そうですか、そうですか、
それはひどいですねぇ、大変でしたねぇ」
と少し言葉を交わすと、

ありがとうと言いながら
その方は歩いていった

会釈して別れてから
マスクをしていなかったことに
気がついたのだけど後の祭り

どうしてマスクもしないで
ゲラゲラ笑ってた夫婦に声かけたのだろうね?
と、話していたけど

ひょっとして、逆なのかもしれない
と、思いついた

マスクをしていなかったから
声をかけやすかったのかもしれない

それは、表情が見えるから
表情が見えると、安心するから
なのではないかしら

昔は、メールでのやり取りが苦手
なんて言う人がいた

文章だけでは、どんな人かわからない
なんて話もよく聞いていた
今ではもう、そんな人少数派だと思うけど
(20年くらい前の話)

それらもきっと、文章からは
表情や雰囲気を、読むことが出来ないから
ってことなんだろうな

本心とか本性とか、
言語以外の部分が持っている
非言語の領域の情報を
人はとても重要なものとして扱っている
ということなんだろう

「身口意」って仏教の言葉があるよね

・身:身体:やっていること(行動)
・口:言語:言っていること(言葉・思考)
・意:精神:思っていること(心・意識)

それらを一致させなさい、という教えらしい
これが一致してないと

言ってることと、やってることが違ったり
本音と違うことを言ってたり
口ばかりで行動が伴わなかったり
ってことになるんだと思う

思ってることを言う
言ってることを行動する

それだけの話しなのに
それが難しいのは、実は

人が、自分の本心に無頓着だから
もしくは、
自分の本心を無視しているから
なのではなかろうか

すると
マスクの下に隠されたのは「人の本心」
だったりするのかもしれないな

案外、人は言葉よりも表情に
本心や本性が現れている
そんな風に思っているのかもしれないね

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