「どうすればいいですか?」
こう聞かれることがあります
そんな時私は、
「あなたは、どうしたいですか?」と伺います
いじわるじゃないんですよ
だってね、その方以外に、
答えを出せる方は、いないんですよ
何がよくて、何がよくないのか
私には決めることはできません
小さなトピックだったり、私の専門の心理を扱うお話でしたら、ヒントを差し上げることができる場合もありますし
具体的に「○○したいけど、方法はありますか?」と聞かれた場合には、お伝えできる体験もあるかもしれません
でも、どうすればいい?という
大きなトピックで聞かれると、大抵答えられないのよね、そんなにその方のこと知らない場合のほうが多いしね
このケースについてどうすればいい?というお題でのセッションなら、ちゃんと一緒に考えていくけどね、それはビリーフリセットではないセッションになるので、お申込み頂いたこと無いけど(そういうニーズってあります?)
「どうすればいいですか?」
と聞きたくなる、その裏にあるのは
「どうすればいいのか、わからない」
なんです
「わからない」ってとても厄介
わからないって言った途端、思考を放棄する方が多い
むしろ、思考を放棄するために「わからない」って言ってる場合もある
そして「わからない」って、
「わかりたくない」って意味で使う人もいる
そうするとそこに「拗ね」が入るのよね
「わかってやるもんか」「わかりたくない」って思いながら「わからない」って言ってると、わかるものもわからなくなる
わかるための努力を放棄してるから
そして、その根っこには
「私には決める力がない」
「私には決める知識や能力がない」
「私の決めたことは間違っている」
みたいな、思い込み(ビリーフ)が入ってる場合があるし
「拗ね」が入ってると
「どうせ、私が決めたってダメなんでしょ」
「私がいいと思ったって、違うっていうんでしょ」
っていう傷ついた感情がある
「どうすればいいですか?」
って聞くということは、誰か正解を知っている、と考えている
誰かに正解を教えて欲しい、と思ってる
でもね、残念ながら「正しい」なんて誰にもわからない
塞翁が馬じゃないけど、物事の「いい」「悪い」なんて、本当に死ぬ直前にしか、わからないと思うんだ
もう、従うべきスタンダードなんてなくなってしまったし
良し悪しも、情報が溢れすぎていて、本当に正しいことなんて、誰もわからないし、知らないし、何が起こるかわからないわけですよ
だから、正しい、正しくないという白黒2色の選択じゃなくて、やりたいかやりたくないか、というあなたの感性や感覚に従って決めるしか無い
なにかの正解に従って生きてきた人は、これからの世の中はどんどん生きにくくなっていくと思う、そういう指針や正解、スタンダードがなくなってきているから
もう、わからないままの子どもを卒業しよう
誰かの正解じゃなく、自分の人生を自分で決めるために
ビリーフリセットがあるよ、大丈夫
コメント