今日は、お散歩がてら恵比寿駅近辺を通りがかりました
私は基本的に、外を歩いているときにはマスクはしません、建物やお店、駅に入るときに、マスクをつけます
駅近くに差し掛かった信号で、杖をついたおじいさんが
「マスクをしない奴らは死んでしまえ」
という言葉を投げてきました
私は、そのおじいさんをちらりと眺めてから、会釈をしてそのまま立ち去ると、すぐに、恵比寿様の像の前で撮影している親子を見かけました
写真を撮るからとマスクを外すよう母親が促すと、お嬢さん(10歳くらいかなぁ)は、ちょっと眉根をひそめてマスクを外し、心配そうに周りを見回しました
その目線が、マスクをしていない私を捉えたとき、私は、とっさにニコッと笑いました
笑ったほうがいいな、と考える間もなく一瞬で
ほんの2,3分の間に、責める側と責められる側、2極の側面を見たことで、これは、私になにを見よと言われているだろう?と考えてみました
人に心無い言葉をかけてしまうほど、そのおじいさんが、追い詰められ恐れているとしたら、それは大変にお気の毒ではありますが、赤の他人に「死んでしまえ」と声をかけるのは、どう考えてもちょっとヤバい人です
あぁ、恐れを怒りという「感情的防衛反応」でごまかしているのね..
ちらりと眺めただけではありますが、私からその方は、どう見ても弱く可哀想なおじいさんでした
(私が殴っても転んで死んじゃうんじゃないかな、というくらい..)
感情的防衛反応についてはこちらをどうぞ
人に暴言を投げつける理由のひとつ
その根底にあるのは「被害者意識」です
被害者でいることは、本来しんどいはずなのですが、実は結構メリットがあったりします
それは、被害者の着ぐるみを着て、相手を加害者に仕立て上げ、堂々と攻撃ができることです
このメリット、実は結構ビリーフリセットではあるあるです
そして、被害者意識の厄介なところは、「連鎖する」こと
「死ね」と言われたことに対して、私も感情的防衛反応を起こしていたとしたら、私もとっさに「怒り」を持ち出して被害者意識から、反撃を繰り出していたことでしょう
まぁ、その手には乗らねぇよ、という意識がありますもんで受け取りません
私は、負の遺産の連鎖には手を染めません
(お嬢さんへの、被害者意識の連鎖を、食い止められていたなら嬉しいのですが..)
責める側も、責められる側も、どちらも被害者です
私は、どちらにも属したくないですし、加担したくもありません
この体験は、自分の中に「被害者意識」が無いかを見る体験となりました
とっさに投げられた言葉に対する処方はこちらを
https://kotohogi3.jp/get-angry/
感情的防衛反応についてはこちらを
https://kotohogi3.jp/mistake/
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