その「ごめんなさい」は許さない

HSP、繊細さとつき合う

セッションでお話を伺っていると、その時はそれほど気にならないのに、ずーっと記憶のどこかに残っていて、ふとした拍子にぽろりと思い出される、そんな「ことば」がある

”プチトラウマあるある”かもしれないと思うくらい、よく伺うお話のひとつに、

気持ちのこもっていない「ごめんなさい」を
言わされた、言われるのに付き合わされた


というのがある(もちろん人により、そのシチュエーションは様々)

ごめんなさい、って難しい概念だよなぁ、とは思うんだ
自分の行いに非があることを認めて、相手に許しを乞う

「ごめんなさい」の語源は、免罪や免除を意味する「御免」に、依頼の意味の「してください」がついた言葉

「免罪してください」
「私の罪をお許しください」
というのがその語源、重い
そうだよ、重い言葉なの、それほど重い言葉なのに、あまり使い方を教えられずに来てしまうのは、本当に不幸だよ

「ごめんなさい」をつかうとき
まずは、自分を悪者にしたくない、自分の非を認めたくない、
その非をさらしたくもなければ、自分を不利な立場に置きたくない、
そして、その判断を相手にゆだねなければならない、という数段階のハードルがある

その数々のハードルを越えて、一緒に居たい相手なのか、居る価値のある相手なのか、という値踏みもしつつ..つまり

・自分の非を認めて加害者という立場を自覚できる
・自分を加害者としての不利な立場に置くことができる
・判断を相手にゆだね、受け入れることができる

というなかなか胆力が試される「ことば」なんだよ「ごめんなさい」は

まぁ大人になったって素直に「ごめんなさい」が言えない人が居る、それは上の箇条書きのどれかが恐ろしくてできないケースが多いと思う

自分の非を認められない、自分を不利な立場に置くことができない、許す許さないの判断を人にゆだねられない

そこにあるのは、そうしてしまうと徹底的にヤられる、ハブられる、見捨てられる、という恐怖感
「ごめんなさい」って、心の安心基地がきちんと築かれてなくては、容易に口にできる言葉ではないんだよ

そんな「ごめんなさい」絡みのお話を、セッションで伺うことが多いのかという謎が、「HSPにもいろいろある」(熱源発掘めぐさんのブログ)を読んでいて、なんかわかった気がした

要約するとHSP(Highly sensitive person /過度に敏感な人)には3種類いて、感覚敏感 / 共感 / 洞察に分けられる
”感覚過敏” はそのまま五感が敏感な人、”共感” は相手の気持ちがわかってしまう人
“洞察” というのは、物事の本質や真実、組織のヒエラルキーや物事の背景を読み解く人

ごめんなさい問題は”共感”と”洞察”の混合技であるように思えるのだ

例えば、
いつも、からかったりものをとったり、嫌なことをする男の子に反撃して突き飛ばしたら、反撃したところだけを目撃され、ごめんなさいを言いなさいと強要された

これは、元をただせば毎回嫌なことをしてくる彼に原因があるわけだけど、周りの大人はそこを見ておらずに、その瞬間突き飛ばした彼女が悪いと決めつけた

自己防衛のため、やむなくやったことなのに、公平に言い分を聞きもせず「ごめんなさい」を言わせて場を収めようとした

そこに、理不尽さを感じ悲しみを味わった、ということだと思う、洞察っぽいなぁと感じる、全体を、真実を、ちゃんと見ろよ、という感じ(わかる)

もちろん、私が悪いんじゃない!!という内なる本心もあるんだけど、公平さとか平等とか、そっちが守られないことのほうが重大な「脅かされ感」がある 大切な概念が崩される感じ(わかる)

もひとつ、
毎回相手に非があって一向に反省しないのに、毎回心のこもらない「ごめんなさい」を聞いて、「いいよ」とおざなりの許しを言わせられる、ってのもよくうかがう話

これも、相手が悪いと思ってないのがわかってしまう ”共感” と、謝らせることにその場を取り繕う以外の意味もないことが分かってしまう、そして、本心と違う言葉にやたらと抵抗がある ”洞察” の合わせ技な気がする

相手が悪いとも思っていないというのがわかってしまい、悪いとも思っていない人のごめんなさいを聞く気にもならない、そして、毎回その茶番でお茶を濁そうとする”オトナ”にも幻滅している

相手の気持ちがわかってしまう共感性を発動しつつも、洞察系こだわりも強くて、そんなウソ聞きたくないという気持ちがあるけど、茶番を強要する”オトナ”のために、我慢して本心を押し殺している

うん、よく頑張ってきたねぇ
あなたにとって「ごめんなさい」は、そんなに軽い言葉ではないんだよ
そして、その表面的な心のこもらない「ごめんなさい」のやりとりに、たくさん傷ついて、幻滅して、諦めてきたんだよね

私は、そんなとき
「許さなくていいですよ」
と伝える

そこに悲しさや幻滅を感じてきたということは、そこにある何かがとても大事だったってことだから
その聖域を犯した人を、許さなくていいですよ、と私は伝える

相手にも理由があった、あの”オトナ”にも理由があった、それは確かにそうかもしれない
けど、あなたにだって理由がある、あなたにはあなたの大事にしたい思いがある

あなたには
こころのこもった言葉が大事であり
平等、公平、正義、といった信念は、神聖なものなのだ

幼い時には、”オトナ”のルールで、その聖域を踏みにじられたかもしれない
けれど、あなたはもう、その聖域を守ることができる
あなたはもう大人だから、あなたの大切な考えを、大切に扱って大丈夫

その「ごめんなさい」許さなくていいよ
許さないまま、手放したっていいんだよ

ごめんなさいを検索していたらたどり着いた漫画
幼いお嬢さんと、祖母とお母さん(作者さん)とのやりとりで、子どもにとっての「ごめんなさい」を探していく過程が丁寧で素晴らしい

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