ビリーフリセットのセッションは
原家族にさかのぼって、そのビリーフを作った
原因を突き止めていく
そのため、通常のカウンセリングでは
到達するのに時間がかかる領域に
短時間でアクセスする、という特徴がある
原家族とは、生まれ育った家族のことで
いまお子さんがいても、お孫さんがいても
ご両親が亡くなっていたとしても
例え60歳でも70歳でも、
セッションでは原家族にさかのぼっていく
「なにひとつ不自由なく育てられた」
「仲の良い家族で不満なんてひとつもない」
と、表面上は思っている方でも
セッションを受けて頂く限りは
生まれ育った家族で作ったパターンを探っていくのだ
お会いする方の中には
「なにひとつ不自由なく育てられた」
「不満なんてひとつもない」
という方も少なからずいらっしゃる
そう、そうなのよ、実は私もそうだった
物質的には何不自由なく
食べるものや寝る場所に困った経験はない
家族のことは好きだし、
虐待も暴力も(多分)ない(わからないけど)
両親も大変な時代に
よく育ててくれたなと思ってるし
遠い大学まで行かせてくれて感謝してる
と、表面的には思ってた
でも、私の家族は情緒的なケア
という育児ジャンルがスッポリ抜けていて
悲しいとか寂しいとかそういった感情を
自分で処理するしかなかった
3歳位の子どもが、どうやって自分で
感情を処理するかというと、
ただ小さくなって耐える
という方法でしかないんだけど
その対処方法しか出来なかったから
成人してからも、自分の要望を伝えたり
思いを伝えたりということができなくて
苦しい事があっても
意にそぐわない事があっても
ひたすら我慢してやり過ごす
という対処方法しか取れなかった
その自分の対処方法のパターンが
幼い頃に自分で作ったものと知ったときには
大きな驚きだった
私は、幼い頃
母と衝突しながら育った記憶があるので
親に対する不満はごまんと出てくるんだけど
お会いする方の中にはやはり
「なにひとつ不自由なく育てられた」
「不満なんてひとつもない」
という方も少なからずいらっしゃる
どんな家庭でも
不満がひとつもない、なんてわけないじゃないか
だって、にんげんだもの!
どんなに仲の良い夫婦だって
何かひとつは我慢しているし
文句のひとつくらいはある
それが複数人が関わる「家庭」という
最小単位の集団のなかで
ひとつもないわけがないのよ、本当は
だから「ひとつもない」という人は実は
そうとう我慢を続けてきた忍耐強い人なの
そういう方へは、私はあえて感情を抑制して
私が感じた事実を伝える
(感情を感じ慣れない方は
いきなり感情を出されると、びっくりしちゃうから)
それ、切ないですね
それ、寂しいですね
それ、怖いですね
ただ、私が感じたことを伝える
そうすると、
「あっ、これ寂しいんですね」
「怖いって思ってたんですね」
と、まるで未知の感情のように口にされる
まるでヘレン・ケラー
幼いその時にはまだ、
その感情に名前はなかったのかもしれない
でも、あるんだよ
確かに、なにか感じてたものが
そして、感じちゃいけないと
閉じ込めて抱え込んでしまった自分が
そこにいるんだよ
不満を感じたっていいんだよ
嫌だと思ってもいいんだよ
これから、たくさんのあなたを、取り戻しに行こう
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