長々と続いてしまった
1.向いてる、向いていない
2.何かを「体験」しにこの世にきてる
3.やってみなきゃ、わからない
色々書いたけど
最終的に「やらない」を
選びたくなる時
人は、失敗したくないと思ってる
ビリーフ的に表現すると
「失敗してはいけない」
と考えている
そりゃ、やってみたいと思った時に
思うようにできないと
死にたいほど悲しくなる
(うんうん、わかるよ)
それは、出来ない自分に
がっかりしたり
出来ないことで、
人格全部が否定されたような
気持ちになってしまうからだ
その屈辱感を恐れるがために
「失敗してはいけない」
と頑なに思い込んでいるケースは多い
そう、失敗しないためには
何もしないのが、現状維持が、一番いい
ってところに落ち着いてしまうんだね
それはやっぱり
そういう傷があるんだよ
失敗して罵られたり怒られたり
そんな自分に落胆した、そんな傷が
周りの子より劣ってる
○○ちゃんより遅い
お姉(兄)ちゃんより出来ない
っていう話は、ほんとに多いし
あんたは出来ないよね
何やらせてもまともに出来ない
ほんとダメな子なんだから
あんたは失敗作
産まなきゃよかった
(実際にクライアントさまから
出てきた言葉だよ)
つらすぎる言葉を浴びてきて
心が縮こまってしまった方も多い
でもね、それは
「あなたが出来ないから」
が理由で、
投げつけられた言葉ではない!
多分、それを言われたの
3歳から10歳位だと思う
よく考えてみて
3歳の子どもなんて、
ろくに何も出来やしないのが
当たり前なのよ
あんなにちっちゃくて
何も出来ないのに
口ばっかり達者で
ワガママばかり言ってる
それが、子ども!
たまたま、よその子や
早く生まれた子が、
その時出来たからって
それは、あなたが
「出来ない」って理由ではない
その時は、出来なかったとしても
「まだ」出来なかったに過ぎないの
じゃ、どうしてそんな言葉を
投げつけられたか、というと
投げてる本人に理由がある
吐いた言葉は
常に吐いた側の持ちもんだ
吐いた吐瀉物を汚いと避けるけど
元々は誰かの胃に入れた食べ物で
元々は誰かの体内にあったもの
言葉もそれと一緒で
吐かれた側に責任はない
元々は、誰かの脳内にあったものを
吐瀉物として道端に
撒き散らしているに過ぎない
言葉なんて「ゲロ」と一緒だ
あなたは、ゲロを掛けられてなお
私のせいだと勘違いしている
に過ぎない
それは、たまたま
酔いつぶれるほど飲んだ
おっさんの前に座った不運
と同じくらいの不運で
あなたは、なにも出来なかった
それも仕方がない
子どもだったから、
自分のせいだと思ったのだ
あの人が正しい
という(間違った)前提において
私が間違っているのだな、と
理解しただけなのだ
そもそも、その前提は正しいですか?
私が聞きたいのはそこで
あの人が正しいなんて
確証はどこにもないはずだ
確証はどこにもないんだよ
嘘だと思うなら探してみて
その人が、
人の人生に傷をつけるような
言葉を投げてきたのは
その人の劣等感ゆえなのだ
それを、小さくて弱い
子どもという存在に甘え
ぶつけた、ってことなんだよ
実は、子どもを守れないほど
その人は弱かったってことなんだ
(だからといって、
その人を責めなくてもいいし
責めてもいい)
失敗したって
ほんとは、誰も困らないし
誰にも迷惑もかけない
そして、あの時
出来なかったからって
その後一生
何ひとつ出来ないわけじゃない
あなたは、ひとつづつ
自分にできることを積み重ね
今日この日まで生きてきた
失敗したって、出来なくたって
「向いてないな」
それが分かったらOK
「違った」がわかったら
ほかを探せばいいだけなんだ
誰もあなたを叱らない
あなたが自分に幻滅しなければ
誰もあなたに幻滅したりしないんだよ
ほんとだよ
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