つながりたい、つながれない

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

私は、頭の中のことを形にするのに、とても時間がかかる

友だちは、「ぽんぽん言葉が出てすごい」と言ってくれたりするのだけれど、
それは、そのことについて散々、毎日毎日考えているからであって、心理以外のジャンルでは、全然そんなことないんす、むしろボーっとしてます

昨年10月くらいから、講座をまとめてて、ようやくアウトプットがまとまってきた
単発の講座なら、テーマひとつで時間を決めればいいだけなんだけど、ちょっと長い講座をやろうと思うと、どの順で、切り口を、角度を、方向性を…と、考えなきゃならんことことが多すぎて飽和状態
改めて、師匠方々の力量に頭が下がる

そして、昨年6月から始めてる、3カ月、6カ月のコースも、数名を残して修了されていて、そんな方々との交流で、色々と私自身が学ばせて頂いた事も多かった
受けてくださった方々の、真摯な愛が本当に眩しかった、本質が「愛」じゃない人はいないんだもの

最初のお知らせでは、意図はしていたけれど、告知としては書けなかったことがあった
それは

「私とつながってください」って

ちょっと上手な言い方が見つからなくて、躊躇していたんだけど、
私、やっぱり、つながってほしい

地球に生まれた私たちは、根っこに「愛されない」「つながれない」という傷がある人が多くてね
それを癒していくためには、自分でその傷の「膿」を出していく作業が必要になる(場合もあるし、なくてもいいんだけど)

その時には、見守ってくれる人(カウンセラーやセラピストや..)が必要だし、そこからまた次のフェーズに進むときにも、つながってくれる人(カウンセラー、セラピストである場合もあるし、仲間であったり、周りの信頼を置ける方であったり)が、必要になる

先日、ある受講生の方が
「本当は、(母と)つながりたかった」
と言葉にしてくれた

彼女のその時の言葉は、恨みつらみや悲しみの成分を含んでいない、まるで洗いざらしの柔らかな木綿のようで、すでにその傷は癒えていることが感じられた

そうなんだよ、真実って実はものすごく単純で、シンプル
私たちは「つながってほしかった」し「愛されたかった」
また同時に
私たちは「手を伸ばしたかった」し「愛したかった」そんな存在なのだ

それが、得られないと信じてしまうために、
「つながってください」「愛してください」というのを恐れ、手を伸ばすことを恐れ、愛することを恐れて、恐れるがあまりに様々な防衛戦略によって戦い続け、最後には、つながりも愛も私には必要ありません欲しくもありませんと拗ねてしまう

実は、それ認めるだけでいいんだよ
つながりたかったよ、欲しかったよ、そしてもらえないってがっかりしたんだよ

そこからもう一度はじめよう
誰かに手を伸ばして、誰かを愛そう

だって、私たちは、「愛されたい」し「つながりたい」生き物なのだ
これが欠落すると、とても苦しい(この話も講座でしてる)
もし、生きるのが苦しいと感じている方がいたら、誰かとつながってみて

もし、怖くてそんなことできない、
と感じるなら、私とつながってみて
ブログよりまめに配信しているから、まずはメルマガから、LINEは満月と新月にリーディングを配信しているよ

この人、どんな人かな?興味を持ってくれたらうれしいよ
「興味」は手を伸ばす最初のきっかけだもんね

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