母から、お菓子やら、電子レンジ調理機が送られてきた
父の誕生日と、母の日のプレゼントのお礼なんだろう、お菓子はありがたく頂く
しかしながら、我が家には電子レンジがないんです
ないんだよねぇ..
こんな時、4年前の私なら、
「やっぱり母は、私のことをわかってくれない!」とプリプリ怒っていたかもしれないし
7年前なら「何度言っても忘れられちゃうんだね..」と悲しくなったりしていただろう
20年前なら「どうしよう、なんて言ったらいいだろうー、黙って売っちゃおうかなー」とぼーっと自分から遊離していたかもしれない
今は、「あぁ、電子レンジないって忘れてるねー」と思うだけ、感情が波立たない
あぁ、いろんなドラマに踊らされてきたねぇ、と思うと同時に、いろんなドラマを楽しんできたねぇ、とも思ってる
物語、ストーリー、脚本、言い方は何でもいいけど、笑いあり、涙あり、人情あり、そんな楽しい「劇」を私たちは生きている
そう、例えば
電子レンジを持っていない私の家に、電子レンジ用の調理器具が届いた
「ひどい!電子レンジも買えない貧乏人だっていうのね!」と泣き崩れてみたり
「どうせ私のことなんて、だれもわかってくれないのよ!」といじけてみたり
「大体いつも、あの人は自分勝手なのよ!」と怒り散らしてみたり
なんてことをやってしまうんだよ
でもね、それは「ドラマ」だ という捉え方を知ると、今自分はどんなドラマに巻き込まれているかしら?という見方ができるようになる
それって、ドラマの中にどっぷり浸るわけじゃなく、斜め上からちょっと離れて冷静に見ている観客の自分がいる感じ、そうなると何か出来事があったときに、笹の葉の小舟のように、感情がぐるんぐるんにかき乱されることがなくなるの
それぞれに、得意なパターンのドラマがあって、それは反応のパターンともいえる
例えば「貧乏人だっていうのね!」というドラマをよく演じているなぁ、という方は「被害者」の反応パターンを持っている
「誰もわかってくれない!」というドラマによく出演しているなぁ、という方は「孤独」の反応パターンを持っている
察しの良い方はお気づきでしょうけれども、それぞれ出演率が高いものが、ご自分のビリーフパターンですよ
「私、俳優ですから!」と好んで演じられている方は、そのままでOKです
「え?俳優だったの?」という方は、演じている可能性について、考えてみてもよいかもしれません
その演技は、本当に必要かな?
演じる必要は、本当にあるのかな?
お話を伺っていると、大体その、演技がしんどくなってきているという方が大半です
その、ドラマを演じなくて済む、という世界にいくと
母は、ただ忘れてただけ
便利だと思ったから、私の分も買って送ってくれた、ただそれだけ
私は愛情とお菓子を受け取って、電子レンジ調理機を送り返す、ただそれだけ
ハラハラドキドキのドラマはないけど、ゆったりと愛を感じられる、幸せな時間がありますよ
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