「あなたの「核」はなに?」
という記事を2017年アメブロに書いててね
いいこと書いとるやんけと思ったので、一部改修して載せてみる
先日、ある講座を受講している中で、自分の好きなことについて語る、というロールプレイがあったの
やっぱ私ね、好きなこと、ぱっと出てこない
やりたいこと、好きなことに対して、すごく鈍感(にしてる、自分で)
やりたいこと好きなことがわからない
こんな自分だからこそ、好きなことがわからないと困っている方を、お手伝いできることがあると思うし、何か伝えられることがあるはず!
という気持ちで、カウンセラーになろうと志ざしたので、今は「好きなことがわからない自分」にOKしているんだけど
「自分の好きなことを語れない」って、自分自身を語れないってことだわ、と気がついた
だってね
私はこういう人ですと、自分を表現するときに
札幌で生まれ育ち、大学入学と同時に上京~
バイクパーツメーカーのデザイン部に入社~
IT業界で20年デザインからディレクションのキャリアを積み~って
これが本当に、私自身を表現してますか?っていうと
そこじゃねーわ
私の核となる部分履歴書には、ねーわ
って、思った
私の核となる部分って、私は、こういう人ですって、なにを表現したら出てくるのかな?
仕事なんて、肩書なんて一瞬で変えられる
何をしていたって、私であることには変わりがない、じゃぁ「変わりがない私」って、なんだ?
ファッションだって、髪型やメイク、顔や体型ですら変わる
老化もするし、進化もする
考え方や知識だって、増えたり減ったりするし、書き換わる
それは、自分の一部ではあっても「核」ではない
では、自分の中で変わらないものってなんだろう
あぁ、そうかこれがアイデンティティっていうんだね
「ほかならぬ、それが私である、と信じられるもの」
と考えた時に、好きなことと、大事にしていること、なんじゃないかと思ったわけ
同時にね、キライなこと、絶対に許せないことも、そこに含まれてるなーと思った
感情であり、気持ちが私?
かと聞かれると、感情はただ流れ去っていくエネルギーだし、気持ちもふわふわと移っていくものだけれど
私の愛が含まれている部分は、私の核に近いと感じられるなぁ(キライも愛の裏側だからね)
だから、好きなことが語れないって、自分の核がわからないってことだし、自分がどんな人物かわかりません、ってことに感じる
自分の「愛」の所在がわからなくて、やりたいことなんて見つからんわね
そりゃそうよね
好きなことを少しづつ増やしていくこと、感情を動かすことに慣れていくことが、今の私には大事なのだと思う
「自分を語れる言葉」
好きなことを続けていくと出てくるのかもしれないね
2017年の7月7日、まだビリーフリセットの当時カウンセリング講座を受講しているとき、それもまだベーシックという一番最初の段階の時に書いている記事
私は、やりたいこと、好きなことがわからなくて、ほとほと困り果てていた
今読むと、いやはや好きなこと全然わからなかったんだねぇ、ほんと困っていたんだね、となんだかいたたまれない気持ちになるけど、一歩一歩歩いてきた感じがあるなぁ
あの頃の私に言ってあげたいよ
2018年にはチャネリングを学んで、2019年にはリーディングをメルマガに書いてセドナへ行き、2021年には神社を放浪しているよ、と
2017年の私は、ちょっと呆れた顔をするのかもしれないけどね
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