先人の、海への祈りが伝わってくる住吉っさん

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旅の独り言が続きます

ホテルに荷を預けて、D&Dでサンドイッチを入手してJR大阪駅へ向かう

MAPで梅田駅と大阪駅が近くなのを、初めて知ったんだけど、御堂筋線からJRへの誘導が、なんだか肝心なところで途切れるの改善して欲しいなぁ

左に曲がる矢印の後、曲がったら標識がないってのを数回経験してるんだけど、なぜ

さて、この日の目的は、住吉大社さん

海外から帰国するまで、実はあまり日本国内に興味がなかった

日本に目が向いたのは、タイから帰国してからで、海外で他の国の人と話をすると、私は生まれ育った日本について全く知らないことに気が付かされた

日本の仏教観、神道との住み分け、日本の成り立ちや、歴史と戦争について、英語が出来ない手前で、私はあまりに無知だった

特に、日本の成立した頃、卑弥呼やら古墳やらというのだけ覚えてはいるけど、それらが体感としてフィットするほど、自分と地続きであるイメージは全くない、どこか異国の話のように聞いていた

それは私が、ちょっと前まで蝦夷地と呼ばれた蛮族の地に生まれ育ったからなのかもしれない、うんそれもある(縄文時代以降、五稜郭の戦いまで、書き残された歴史文献がないから)

だけど、どのくらいの人が、古代の日本を拓いた先人から日本国というアイデンティティを受け継いで居るのかは疑問だよなーと思う

どう生活を営み、何を大切にして暮らしたか、そんな辺りの思想を受け継げていないというのは、集合無意識的にアイデンティティ喪失になっていても、不思議じゃないと思うんだけどなぁ

って、なんでそんなことをつらつらと考えたかというと、住吉っさんの入口に、大量のどでかい常夜灯(石燈籠)が並んでいるのと、ここから遣隋使、遣唐使が船出しました、という立て看板を見たから

昔は、住吉大社の西側は海だったそうで、住吉公園にはでかい高灯籠がある

それは、海の灯台としての役割もあって、海路の道標にもなっていたらしい

そうかー、海から荷を入れて、海へ荷を出す、大阪は海運の街だったんだねぇ 航海の無事と富みと、いのちが直結してる

だからこそ、灯籠を奉納して安全を願い、商売も上手く行きますようになんだよね

だから、お祀りされている御祭神も、底筒男命・中筒男命・表筒男命の海から産まれた三神

摂社の大海神社さまには「海幸山幸神話の海宮の竜王とその娘にあたる豊玉彦と豊玉姫の二柱」がお祀りされているし、その井戸には潮の干満を支配できる宝玉が沈められている、と言われているのだそう

そして、正面の鳥居脇には船玉神社、玉というのは魂であるそうで、言わば船の擬人(神)化、そして道案内の猿田彦大神がお祀りされている

切ないくらいの、海の安全祈願だよね

海に出ることが、生きるため、豊かになることでもあるのだけど、常に危険と隣り合わせ..どうか無事で、という切ない願いが伝わってくる

あー、これほど命懸けで海運(運ぶのはものだけではなく、知識や技術でもあったはず)やってたら、そりゃ貢げONLYの公家さんとは上手くいかないわけだ、なるほどねー、と色々腑に落ちていく

こんな風に地続きに、自分たちの先祖たちが、ここに暮らして、こんな願いがあった、というのが体験出来るのはとても羨ましく感じる

本で読んでてもイマイチわからないけど、住吉大社に来てみたら、なぜすぐ南の堺市に古墳がたくさんあるのかが、理解出来る気がするよ

あの古墳たち(仁徳天皇)は、海を見ているのではないかしら

海外からやって来た説は私には論じるほどの知見はない

けど、海を大事にして、そこから入ってくるもの、出ていくものを、とても大事に考えていただろうとすると、なんだかあの場所に墓をという気持ちはわかる気がする(墓なのかもよく分からないけど)

家康公が、権現になって江戸を護る気概と同じものを感じる、全て想像だけどね

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