鳴いてるセミの声に少し違う響きが混じって来たり、夕暮れの空がちょっと高く感じられたり、少しずつ季節が変わってきていることを感じますね
しかしながら今年の天気って、ちょっと暑すぎだし、雨降り過ぎですね、極端すぎです
日本は、それほど強くない日差しと、緩やかな気候の変化が、絶妙なるグレートーンを生み出していて、それが美しいのだと信じてきました
が、ここ最近の日照りと集中豪雨という白黒繰り返しの激しさに「陰翳礼賛」に異を唱えたくなってきました
日本のグレートーンは、確実に階調が減っている気がして残念です
その昔「陰翳礼賛」が大学の課題図書に指定されたことがあります
日本の「美意識」は光の当たる部分ではなく、うっすらとした陰影の部分に宿るという、谷崎潤一郎氏の書籍です
西欧の文化は、隅々まで光で照らし、徹底的に闇を排除することに心を砕きました
しかし古来の日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げまた、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと論じたものです
若い頃は、何度か読み返したのですが、この書籍の真意が汲み取れずに居ました(デザイン論のなかでの課題図書でしたしね)
それが心の学びを深めていくと、いつしか理解できている自分に気が付きました
私たちは、白なのじゃー、白でなければならぬーと、闇雲に黒いネガティブでダメな自分を排除し、100%潔白、善である真っ白な自分を目指そうとしたりします
しかし、例えこの地上を光で満たしたとしても、その光が強ければ強いほど、そこに映る陰翳はますます深くなるばかり、光あるところには必ず闇が生まれるのが、この地球の摂理です
陰影、闇を排除しようなんて、どだい無理なお話なのです
東洋には、闇の中に光が生まれ、光からまた闇が生まれる「陰陽」の思想があります、万物の生成消滅の変化はこの対立する陰陽の二気の動きが作り出していると考えます
例えば明日は立秋ですので、ここから「陰」が深まり、冬至には陰が極まり、またそこから陽が大きくなってゆきます、このように刻々とその「二気」は変化し続け、この世界を形作っています
ですので、闇があるのは至って普通のこと
闇や陰が、あってはならぬ、排除しなければならぬ、という思想もありません
「陰翳」は「陰翳」として、ただ事実として「ある」それだけです
元々、日本はこういった「陰翳礼賛」の感受性を持っていたはず..なのです
これこそが日本の感受性でしょうし、情緒の基盤となっているでしょう
こんな風に、ご自身の影をただ「あるなぁ」と眺めることが出来れば、それだけで力が抜けていきます..
にじみ、ゆらぎ、漠然とした、ぼんやりとした..
そんな、輪郭のはっきりしない、コントロールできない部分を「おかし」「あはれ」と感じ、愛でてきた、その余裕が、陰翳を美しく感じる日本人のこころなのではないかと思っています
そしてその、はっきりとしない、つかみどころのない陰翳こそが、人としての深みを増し、魅力になるもの、と思うのです
そして同時に、とても力の抜けた、楽な捉え方だと思うのです
楽、というのは、それだけで自然なものですよね
どうぞ、ご自身の「陰翳」を排除することなく、そこにあるなぁと、居場所を上げてくださいね
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