それは、そこに穴があるからだ
こちらのつづき↓
あの、ここまで書いてきてなんですが
ニセモノあかんとは思ってません
ニセモノ上等、たっぷり叶えたれ
と思ってます
そのフェーズが必要な方も
必ずいらっしゃる
そのニセモノに向き合う時間は
ホンモノにたどり着くために
必要な階段でもあるのです
大体、全人類の9割以上が
ニセモノかホンモノかなんて
気にしてません
ホンモノにご執心な方は
結構なレアケースなんですよ
しかし、そのフェーズに
ほとほと嫌気が差して
もう、ニセモノは結構です
ホンモノの探し方教えて下さい
って状態が必要な方も
いらっしゃるはずなのです
なんでニセモノの願いなんて
面倒なもんがあるんでしょうか
それはね
「穴」を見ないため
「穴」に気が付かないようにするため
なのです
心理学では「抑圧」という
表現でお馴染みです
無意識に、潜在意識に
「穴」を押しやってしまいます
例えばその穴は、別の表現をすると
価値のない私、ダメな私
必要とされない私、出来ない私
のような表現をされます
それほど「穴」はしんどいの
私たちの自尊心を削り、
自己肯定感を奪うのが「穴」です
抑圧すると私たちは
「穴」を忘れてしまいます
忘れてしまって
穴埋めだけを命令(ビリーフ)で
やり続けているのです
この穴埋めは
演技・擬態とも言い換えが可能です
具体的に言うと
仕事のできる人、立派な職業の人
価値のある人、稼げる人
理解ある夫、優しい母、
気の利く彼女、いい旦那さん
でいようとする
演技してでも、擬態してでも、
それらに、ならなければいけない
これは、それほどまでに
ありのままの自分では
いけないと信じているってことなの
擬態する人に共通しているのは
ありのままの私では
愛してもらえない
助けてもらえない
生きていけない、という恐怖体験
だから、
愛してもらうため
助けてもらうため
生きていくため
演技をし、擬態をする
というのが抑圧のパターン
もうひとつ
この、恐怖を感じないために
その傷の痛みの中に留まっている
というケースもある
それは、傷のかさぶたを
常に自分で掻きむしって
塩を塗るような行為なのだけど
痛みの中にいることで
恐怖を感じないようにしている場合もある
それほどまでにその時の
愛してもらえない恐怖は
強大なものだったんだなと
思わずにはいられない
どこから入ったとしても
自分らしく、本質と繋がっていくためには
余計なものをふるい落としていく必要がある
信じて、進むしか無いんだけど
まぁ、勇気が必要なことも多いよね..
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