感情を表現することとインナーチャイルド

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

駅近くのバス停で、3歳間近くらいだろうか、男の子がいやいやをしていた
「無」の表情のお母さんが、近くで腕組みをしつつ見守っている

地団駄と表現するはずの動きなのだけれど、地団駄という言葉の響きほどの重みがまだない
その男の子の、軽やかともいえるタンタタンという小さな足さばきを見ていると、あんな小刻みな動き、自分にもできるんだろうかという興味がムクムクと湧いてきてしまった

少し離れて
タッタタン
タタタタタン
タンタタタン

同時に、腕を上下に振って憤りを表現する

なるほど、これが「憤り」の表現かと考えつつ、外見は完全に小島よしおを再現している中年である
素知らぬ顔をして通り過ぎた(大抵の恥は恥ずかしいと思わなくなっているので大丈夫)

心理の用語に「インナーチャイルド」という概念がある

私たちは、幼少期の悲しみや傷の記憶を、そのままに保持してしまうことがある
その傷の記憶を、傷を受けた子どもとしてイメージしたものを「インナーチャイルド」と呼ぶ

そして大抵はその「インナーチャイルド」自体を「抑圧」して無かったコトにしている
だから、表面的には大人の姿かたちをしている私たちには、まさかその「インナーチャイルド」が現在の生きづらさの根っこに潜んでいるとは考えない

しかしこの、生傷のまま保持された傷の記憶が、大人になった現在でも疼き、インナーチャイルドが感じた傷の痛みのまま、傷の痛みを再び感じないために作ったビリーフの世界観の中で私たちは生きている

子どもが傷を生傷のまま保持してしまう理由のひとつに「表現されなかった」ということがある
怖すぎて固まってしまった、悲しすぎて受け止めきれなかった、猛烈な怒りで自分の小さな体で扱いきれなかった…など理由は様々だけれど、その感情エネルギーの膨大さに怯んで瞬時に抑圧されている
抑圧されてしまうと、その感情は凍結保存されてしまうのだ

なぜ、あの男の子の軽やかな地団駄から、インナーチャイルドを連想したかというと、感情は、表現されると流れていくから
きっと、あの軽やかな地団駄で表現された「憤り」は、彼の中に留まりはしない

現在進んでいるコースでは、ビリーフとインナーチャイルドとの関連や、その癒しについてという内容になっている
ビリーフはビリーフという概念だけだと、自分でワークして癒していくのはちょっと難しいのだけれど、インナーチャイルドという概念と併せて考えると、セルフワークが割と簡単にできる

そんな自分でできる方法をお伝えしながら、もちろんセッションでもインナーチャイルドを癒しているので、実際の子どもと接することはあまりないのだけれど、概念としての「子ども」とはたくさん会話をしている気がする

これからの一年は、自分でインナーチャイルドに光を当て、ビリーフをリセットしていける方々を増やしていきたいなー
と、ことほぎ今後の目標を語ってみました
引き続き、これからもよろしくお願いいたします

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