私たちは「記憶」を食べてる

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

「子どもの偏食が心配で」
「好き嫌いが多くて困る」
というお子さまのお話を伺っていて

ふと私も、幼い頃は
ピーマンが嫌い、にんじんが嫌いと
いっちょ前に好き嫌いがあったな
と思い出した

今も、食べたくない食材は普通にあるし
好き嫌いは普通にあるけど
食べられなくて困ることはない
まんべんなく美味しく頂ける

割とチャレンジングな食材でも
食べてみようと思えるタイプ

海外で暮らした時も
困らなかったし
ミャンマーもネパールも
ブータンも、どこへ行っても
地元の食材を食べることは楽しかった

逆に、夫さんは
食に対してかなり保守派
かなり用心して食べるし
見た目でNGなこともある

「失敗したらイヤじゃないの?」
と聞かれた私の脳裏には

フランスから直輸入の高級チーズを
くせぇくせぇ言いながら
家族でげらげら笑いながら
食べた記憶がよみがえった

両親共々、食に対しては進歩的
というと聞こえはいいけど
目新しいものは食べてみたいという
好奇心猫を殺すタイプの一家で

多分、過去世では
ふぐや毒キノコに果敢に挑んでは
中毒で死んでる前世があると思う
割と海外旅行で腹を壊す一家です

新しいもの食べるのって、
「楽しいよね!」
って私にはインプットされている

同時に、知らないこと
新たな体験、好奇心は
私にとって「善」である
と捉えている

それは、多分に親の
(特に)母の表情が
刷り込まれているから

そして、嫌いなものを食べなくて
叱られた記憶もない
「ピーマンの何がいや?
苦いからかー」
苦くて嫌なんだね、終わり

責められたり、叱られたり
無理強いされた記憶がない

食べないとおやつあげない
野菜を食べてからごはんでしょ
そんな取引もない

食べ物に不快な記憶が
付属しないんだと思う

これも、なにが不快かというと
親の「嫌悪」や「不快」
「怒り」の表情だよね

好きな食べ物の話を伺うと
まさに、人って
「記憶」を食べてるなぁと実感する

家族で囲んだ夕食
おばあちゃんのおはぎ
始めて作ったオムライス

ひとり暮らしで
大量に作ってしまったカレー
山頂で飲んだコーヒー
父ちゃんと釣った魚

楽しい食事経験が多ければ
楽しく食事をする子になると思う

だから、
お子さんの好き嫌いに
悩んでいる方は

栄養バランスがとか
食べる順がとか
難しいことは後にして

親自身が美味しく楽しく
食べてればいいんだと思う

子どもは、食べ物よりも
お母さんの笑顔を栄養に
生きてるものだから

お母さんの笑顔の記憶が
その子にとって一生の栄養になると思うよ

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