「自分を愛す」が理解できなかった私がやってきたこと(3)

からだとこころ

本格的に転職を決意して、私はまたノートを開いて、今自分が仕事に対して抱えている不満や不安を洗いざらい書いていくことにした

最初は「給与が低い」「通勤時間が長い」「不条理な業務が多い」だの書いていたのだけれど、書き続けていくと、「目的のわからない仕事をしたくない」「もっと自分にしかできないことをやりたい」という若干チャンク(意味、情報、認識のまとまり)の大きな不満の方が、実は大きかったことがわかった

自分のことは、わかっているつもりになっているけれども、案外言葉にしてみないと、わかってないってことなのよねぇ

自分が感じている事、考えている事って「内受容感覚」という身体の「中」の感覚を言語化したもので、これが「自分」という体感覚に直結している
つまり、自分がどうしたいのか分からないって人は「内受容感覚」が言語化して認識できていない人です

(その中には、そもそも「内受容感覚?はて?」って方もいらっしゃるから、そんな方は是非コースを受けて頂きたいんだけどその話はまた後日)

この「内受容感覚の言語化」が行われて、初めて「考える」ことが出来る
逆に言うと、どんだけ考えてる!悩んでる!と言っても「内受容感覚の言語化」をしていない限り、考えている「つもり」なだけってことなのよ、耳の痛い人もいるかもしれない、私もそうだった

だから、聞いてもらえる人がいるなら話をしてみて、それも言語化(聴くには技術が必要だから、聴いてくれる人は選んでね)
聞いてくれる人いないよなぁ..という方(の方が圧倒的に多いと思うけど)は、ノートに書いてみて
「書く」は、客観視できるからおすすめしてる

自分の思いを書いていくと、ふと
「あぁ、実は私はこんなこと思ってたんだ..」
と気が付くときがある

なぜなら、普段の私たちは、「こうするべき」「こうしなきゃ」という世間的な指針に従うことに慣れ過ぎていて、自分の「内受容感覚」に意識を向けることをしていないから

この、身体の「内受容感覚」ってのが、実は「自分の本音」なの
そして「自分の本音を、自分で認識し、理解する」ってのが、自分を愛する第一歩だったりする

なぜなら人って、自分の考えや意思で動いているように見えていても、実は習慣化された過去の捉われによって、自動運転している事の方が圧倒的に多いから

そして、前述の「内受容感覚いまいちわからん人(過去の私だ)」というのは、それだけ自分の本音に意識を向けることが出来なかった方なの
ざっくり言うと「自分の本音を、押し殺さなければならない状況が長かった」ってことなんだよね

そんな方々はまず、頑張ってきた自分をねぎらって上げて欲しいよ

うんうん、でね
本音、出来るだけたくさん書いてみて

多分、たくさんのイヤな事、大きなことも小さなことも、あると思う
イヤな事、我慢している事、おかしいな、変だなと思う事、違和感がありながらも続けている事

あぁ、あなたはそう思ってるんだね
あなたって、そういう人だったんだ
私は、書くことで自分と対話し、押しのけてなかったことにしていた、たくさんの本音を発掘して、すこしづつ受け入れていった

知ることは、愛すること
私にとっての「自分を愛する」は、「自分を知る」ことから始まったんだよ

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