古巣BLCの講座を終えて、休暇に行って来ました
最終日は、岩盤浴と温泉(岩盤浴が良すぎたのでマッサージやめた)で、汗かきまくってランチ
そのランチの、おしゃれカフェでおしゃべりしていた女の子2人の会話が耳に入ってきた
「えー!ネズミ講知らないってヤバいよ!」
「そうなのー?ネズミ講ってなに?」
「え!Tinder知らないの?マジで!?みんな知ってるよ?ヤバいって」
「Tinderって、地元じゃ使いづらくない?」
「本当に知らないの?マジヤバいって!」
と言いつつ、一向にネズミ講が何なのか、Tinderがどんなアプリか教えてくれる気配はない(けど多分、返答からすると本当に知らないわけではないみたい)
それから彼女の、あれは知ってる?これは?このアプリは?と詰問(に、私は感じたよ)がはじまった
いや、知らないことは誰しもある事だから、教えてあげて会話を進めては如何でしょうか
でも、詰問されている方が特に不快なオーラを出していないので、彼女たちの会話として日常なのかもしれない
「ふーん、知らないとヤバいって思ってるんだねー」
と、心の中で伝え返しをする
この世の中は知らないことばかりだ
知らないことがダメな事と捉えていると、どんどん自分がダメな人間であるように感じてしまって、苦しくなるだろう
そしてそれを避けるために、知ってる範囲だけで生活をしていくと、それこそ自分で作った「知ってる檻」の中でのみ生きていかなきゃならなくなる
まだ20代の前半くらいの知識で、あと60年生きていくのは、あまりにも無理があるだろうな
そして「知らない」と言えないってのは、知る機会を逃してしまう可能性が高いし、知らないことを恐れていると、実はものすごくうわべだけでしか物事を捉えられない可能性が高い
だって「知らない」を否定していると、そこから知っていくという、知識を増やしていく、拡げていく作業が、全くできなくなってしまう(いや、別に探求を望んでないだろうけどさ)
と、頭の中で独り言ちてから、その彼女の背景に思いを馳せる
大体、他人にやってる事は、やられてきた事であるケースが多い
いい事も悪い事も、やられてきた事を、そのまま他者にやってしまうのだ
自分だけ知らないって、散々バカにされてきたんだろうなー
お姉ちゃんかなー、お兄ちゃんかなー、まぁ父母のケースもあるよなぁ…
モグモグと、美味しいトーストを頬張りながら考える
暫くすると、外からなにやら不穏な音が聞こえてきた
件の彼女が大きな声で、
「えー!雨なんて聞いてないよー!
曇りだって予報に出てたのに!
えー!今日最悪!最悪だわ!ほんとに!」
その声で振り返ると、バケツをひっくり返したと形容されるような土砂降り
不穏な音はこれか
あー、八剣神社さまは持ち越すかぁ、夫さんと来なさいってことやねぇ
また来るねぇ(はーと)妄想で神社さまと会話し、美味しいトーストに戻る
いつも、自分の中の心地良さに戻る方法を知っていると、必要以上に外界に気持ちを振り回されない
ましてや、変わるのが当たり前の天気になど、気分を左右されない
雨降ったくらいで最悪になるほどの、へっぽこな感情の扱い方しか出来ないって、ネズミ講知らないよりヤバいから、あんた講座おいでよ(いや、来ても困るな)
30分も経たずランチを終えて、神社様に行かないなら用事が無くなったので、早めの電車で帰ることにする
お店の方が、雨止みましたね!と声をかけて下さる
おぉ、雨の中歩かなくていいのは正直ありがたいぞ、ラッキー、ツイてるね!さえちゃん!最高!
雨上がったよ、最高だよね!
私はちょっと期待して彼女を見た
彼女は、お店の方と私の会話を聞きつつも、チベットスナギツネのような顔でコーヒーを飲んでいた、私もガッカリして同じ顔になった
雨降って最悪になるなら、雨止んだら最高になるんじゃないのー?違うのか、もー
こういう人はあれだ、晴れても雨でも文句言うタイプだ、全天候型文句
そういうお母さんなのかなー(余計なお世話)
外界の、何にフォーカスしたって構わない、それはその人の自由だもんね
でももしあなたが、自分の見ている世界が不快だったり、怖かったり、孤独だったりするなら、自分が何にフォーカスしているのかを、確認して見てほしい
最悪な方、不快な方ばかりを選んでないだろうか
もしそうなら、自分にとって快適な方、心地よい方を探す、というチャレンジをして見てほしい
それは、ただの認知のくせ、思考パターン
だから、それは変えられるってことだから、あなたの人生は変えられるってことなんだよ
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