どんな考えも「ビリーフ」になるよ

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

前を歩いていた女性のバッグに「HELL」って書いてあった
こんな、ナチュラルテイストあふれるファッションにふんわりヘアでHELLとは、人は見かけによらないな.. と思って通り過ぎたら「HELLO」だったよ、フレンドリーやん

人は見たいようにしか見ていない
そして、見たいものしか見ていない

見たくもない現実が目の前にあるというなら
それは、自分の内側を確認しなさいという合図なのだ

私の内側には地獄があるんかい..
いや、そっちじゃなくて、見ていくのは「人は見かけによらない」こっちのほう

「人は見かけによらない」
というのは、一つの考え方、物事のとらえ方、価値観ともいえるし、信念に近い勢いで思い込んでいる方もいる

別にこの考えがあることで、私自身は苦しくないけど、見た目と内面にギャップがありすぎるため「見た目と違う」と言われるのがとてもつらい、というお話を伺ったことはある
だから、どんな考えでも、ご本人がしんどいと感じていれば、どんな考えでもそれは、ビリーフになり得るってことなんだよね

例えば「人は見た目が9割」なんて本もあるけど、「人は見た目で決まる」なんて考えは、私にとっては苦しい

この考えがあることによって、人と会うのが憂鬱とか、服を選ぶのに時間がかかりすぎるとか、見た目を気にして、他がおろそかになる、なんてことがあると、心底しんどいと思う
なんだか、自分にとってバランスのいい感じで、エネルギー(時間、お金、手間暇)が使えていない感覚になると思うんだよね

逆に、もちろん、その通りだよね!と、全然苦しくないって方もいると思う
「やっぱ、人は見た目じゃん、きれいにしてなんぼでしょ?」
そんな感じで、見た目を整えることに心地よくエネルギーが使えてるなら、とっても素敵だと思う

そして実は「やっぱ、人は見た目じゃん?当然じゃん?」と思いつつも、奥底の本音を探っていくと、心底きっついと思ってるケースは案外多い

ビリーフは見抜くのが難しいと言われることが多いのだけど、それは人の意識が複雑に絡み合って、階層化しているから

表層の顕在意識では、「それ普通、それ常識、むしろアリ!」と考えていることが、掘り下げていくと、本心では心底うんざりしていることがある

当たり前、と信じてるものこそビリーフだったりもする
常識であり、普通、ってゆる~い鎖みたいなものだから「普通」を連呼しているときほど、そこに執着しているという見方もできる

「普通」「当たり前」「常識」を疑う
ビリーフを探すには、そのあたりから始めてみるとおもしろいよ

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