人に淹れてもらった珈琲って美味しいよね

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

子どもって、はやく大人になろうとするじゃない
大人になると、やれる範囲や決められる範囲が拡がって、自由度が高くなるって思ってたりする

子どもって、生まれ育ったその(自分では全く望んでいない、自分の価値感や捉え方と違う、ともすると嫌悪するような)状況や環境で、自分の価値観や考え方、捉え方を、無理やり捻じ曲げたりへし折ったりして、どうにかこうにか生き延びようとしてくる

中には、「生き残る」というちっぽけな目的のために、プライドを捨てた自分を、負け犬と嫌悪してるような孤高の人もいるんだけど、それは子どもである自分への嫌悪なんだよね

実力もなく、力もなく、金もない
何もできない、子どもである、自分

それが根底にあると、人は、はやく力をつけて、はやく大人になろうと努力する
生まれ育った家を出て、自立するために(このわかりやすい例が反抗期、親の価値観と違う自分を確認するために起こる軋轢)

子どもが大人になろうとする、ひとつの目的は、自立と成長.. なんだけど、人の成長ってそこから2段階くらい、実はある

大人になって、経済的に自立して、なんとなく全部自分でやれるような気持になってはいるんだけど、経済的な自立を果たすとそれで終わりではない

経済的には大人になっても、なんだか自分があやふやだったり、苦しくなったりする場合がある
はたと立ち止まると、何か満たされない思いがあったり、これで良いんだろうかと不安になったりもする

次にくるのは、精神的な自立
それはいわゆる生育環境で作り上げたビリーフをリセットしていく段階

ミッドライフクライシス(中年の危機)という言葉があるように、これは別に精神的に何かがおかしいわけでも、心が弱いわけでもない それは本格的な自立の兆し、と私は考えている

だって、私たちは「生き残る」ということが唯一の目的という、幼き日のガチ・サバイバルゲームのルールに則りながら30代40代まで生きてきた
江戸時代ならそろそろ隠居して死ぬのを待つのかもしれないけど、21世紀においては残念ながら、もうあと倍くらい生きてしまう

そうした段階で、私たちは次にどうするのか、というと
不要な「生き残り策」をやめてく、ということがあげられる

だってもうそのルールは、どこにも適用されない、だってそれは、

実力もなく、力もなく、金もない
何もできない、子どもである、自分

の時に最適化されたルールだから

でね、その次
その、何もできない子どものルール、「生き残り策」をやめていく段階で
「自立と成長」と真逆のことに許可を出していく、という作業がある

お金が稼げて、なんでも自分でできて、という立派な自立した大人になるために獲得してきた、色んな知識や技術やなんやかんやを、いったんやめる
やめて、人にお願いする、任せる、やってもらう、というフェーズが必要になる

ここで、めちゃくちゃ抵抗が出る場合がある(私だ)んだけど、それでもやる
頼む、甘える、お願いする、をやっていかなければならないの
成長して自立して、不要な生き残り策をリセットしたら次は、成長と真逆のことをしていくの

これは、集合体、共同体、コミュニティ、を作っていく作業なんじゃないかと思ってる
自立を果たしたもの同士で、互いに補い合って、より最適なよりよい共同体を作る

よく、夫さんが言う
「だって、さえちゃんが淹れた珈琲の方が美味しいから」
そうだよねーと私も思うし、逆に私も、夫さんの運転の方が上手だから、やってくださーいと思う

だから(めちゃくちゃ遠回りだったけど)表題の件ですよ
上手に珈琲を淹れてくれる人がいたら、私にもお願いできますか?って、出来ることを持ち寄り、出来ない部分を補い合う

そんな関係性でつながっていく
それが自立・成長の、次のフェーズ「共存」

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