正義という「鉈」を振るう時

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

イヤな奴、嫌いな奴、気に触る、いつも嫌なことするあいつ、が気になる時

イヤすぎて、気になりすぎて、そいつの事ばかり考え続けて、血圧も心拍もが上がって一瞬恋と錯覚しそうになるほど、脳内を占領される 寝ても覚めても、あいつの事で頭がいっぱい
拒んでも憎んでも、そいつの事が頭から離れなくなり、怒りと憤怒で気が狂いそうになる

なぜ、そんなバカげた脳内の祭りが始まるのか
それは「分離への気づき」

潜在意識が「分離」に気がついた時、反応が起こる
反応とは「愛」か「憎悪」

相手を自分と同一のように感じる反応を「愛」と呼び、自分と相容れない異なる物のように感じる反応を「憎悪」と呼ぶ

憎悪という反応が現れた時、私たちは、清らかで澄んだ美しい世界に佇んでいる
その美しい世界に、自分だけ1人で孤独に佇み、下界を見下ろしている
あいつ、という醜く歪んだ存在を、自分ではない別のものとして、憎み、蔑み、嫌悪する

こうすべき
こうせねば
こうあるべき

自分が「正しい」私は「正義」という観念は、世界を二分する
その考えに囚われていると、自分と異なる価値観を持つ者は「悪」になる
善と悪、正義の大鉈で世界を二分する

「自分が正しい」という考えは危険だ、それは、孤独を産む
なぜなら、人の数以上に正しさは存在するから
正しい正しくないだけで判断していくと、最終的には自分以外の人は「正しくない」という結論になる

もとより人はすべて「違う」
それなのに、「正義」を振りかざすと「違う人」は「正しくなく」「悪」になる
自分以外の正義を持つ者は、すべて「悪」になる

実はそれは、見たくないものを見ないためにやっている
自分だけを天界の花園に置くため、自分を守るためのカモフラージュだ

そこに「正義」という鉈がなければ、事実はただ「違う観念を持つ人」がそこに居るだけ
それは、言い換えれば「違う経験をしてきた人」であり、「違う傷を持った人」でもある

鉈を振るわなければいい、ただそれだけなのに、それが難しいとすれば、あなたもまた「傷を持ったままの人」だから

だから、鉈をぶん回したくなったなら、その傷を、正しく処置するタイミングがやってきた、ということに他ならない
そして、その傷が正しく処置されたなら、「憎悪」は「愛」に変わる

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