仕事行きたくないから有給取っちゃった、という夫さんと、朝からカフェ、昼からビール、昼寝して散歩して、ケンタッキーと泡買って帰る
こんな時に思い出すのは、学校に行きたくないと言った私に、仕事に行く母のとても困った顔
母に言うと困るんだと思って、それから言わずに学校をサボるようになった
誰にも、何も言わずに、ひとりで対処できるコドモになった
苦しいも、しんどいも、全部内側に溜め込んで、なんでもありませんって顔をしたコドモに
あの我慢、クソみたいだったなと思うから、今会社行きたくないって言われたら、そっかって言って一緒に遊ぶ
今日は、今まで会社行きたくないなんて、1度も言ったことない夫さんの、会社行きたくない記念日
先日Facebookに、こんな話を書いたら、
「いいパートナーシップだね」「仲いいね」
「素敵な時間だったね」
「言わないでやり過ごすね、なるほどね」「私も我慢してたなぁ」
というおよそ3パターンのコメントがあったのよ
受け取り方が、本当に立場や人によって異なるもんなんだなぁ、というのが言語で可視化されて、なるほどねぇ、としみじみ興味深く拝読しました(ありがとうございます!)
断っておくと、私は書いたものをいかに解釈してもらっても問題ない、と思って書いている
言葉なんて放ってしまったら、責任の取りようがないものだから、どう解釈してもらっても「読んでくれてありがとう」と思ってるよ
そんでね、
そこで書いてくれたことって、その方が特に大事にしている「価値観」やら「ものごと」だと思うんだ
「いいパートナーシップだね」
と書いてくれた方は、やはり身内やご家族、友人関係をとても大切にしている人(と私は思ってる)だし、
「素敵な時間を過ごしたね」
と書いてくれた方は、自分の感性や感覚をとても大事にしている方
「言わないでやり過ごすね..(ふむふむ)」
「子どものころ、私も我慢してた~」
という方は、そこに気づきや共感があったってこと、何か起こった時に内側を見るんだなーと、とても共感したわ~
実は私としては、自分がやってもらえなかった「痛み」を、夫さんに投影している話として書いた
だから、それ投影じゃん、って自分にツッコミながら書いたものだから、仲良いね的なコメントは、そんな風に読めるんだ!と、ちょっと盲点だったのよね
「人は自分の内側の世界を、外側に見ている」
あぁ、そうかぁ、こういうことかぁと腑に落ちた
なんだか、ひとつひとつ書いて頂いたコメントが、それぞれの美しいインナーワールドを表現してくれてるみたいで、人って美しいなぁ、と改めて感じたんだよね
あなたは今、何を感じてる?
それ、外側にあると思ってるかもしれないけど、あなたの内側にあるものだよ
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