「好き」と「お金」の話

プチ心理学

メルマガにも書いたのだけど
「好き」と「お金」の話、ちょっと書いておく~

「好きなことがみつからない」
「好きなことがよくわからない」
という方が陥ってるパターンのひとつに
「好き」に「お金」を絡めて考えてしまっている、というのがある

「それをやると、お金がかかるんだよなぁ」
とか
「それやっても、お金にならないんだよなぁ」
とか
「どうやったらこの好きは収益化するのかなぁ」
とかとか

そもそも「好き」がわからない人は、「好き」と「お金」を絡めちゃだめです
「好き」は、お金を生みません、反比例すると捉えてください
好きなこと、やればやるほど、お金は出ていきます

「好きを仕事に」とか、「好きなことをやれば売り上げが上がる」とか
そういう搾取側の都合のよいフレーズに騙されないでください
「好き」は、追及したらお金が溶けていくだけのものです

は?当たり前じゃね?と思える方は、以下読まなくて大丈夫ですよ
うわ、絡めてるわ!と思う方はちょっとお付き合いくださいね

さて、夢なくなった?
ま、でも現実的な話だよ、好きなことやるにはお金がかかる、とっても当たり前

「お金」でなくても、「役に立つ」とか「便利」とか「有意義」とか「メリット」とか
「好き」に、なんらかの「利益」を絡めてしまうと途端に「利益を生むか、生まないか」という観点で評価され「好き」は、「不要なもの」に貶められてしまう

好きなことがせっかく見つかりそうなのに、脳内で「金にならん!」「将来の役に立たない!」とばっさり自分で切り落として「好きなことが見つからない」という方がいるんだよ
それは、見つからないんじゃなくて、自分で却下してるだけなんだけどね

だからまず「好き」を探すときには、
その 「役に立つ」「便利」「有意義」「メリット」を、置いておこう
「好き」は、どれだけ時間とお金をつぎ込んでも悔いがないか、が基準です

でね、この「利益の有無」によってやるやらないを決める考え方は、幼い頃に「そんな無駄なことばかり」「なんの役にも立たない」と好きなことを取り上げられてきたり、親がやるべきことばかりを押し付け、自分の好きなことをやる機会を奪われてきた子どもに多い考え方で

(だから、このビリーフをリセットしてあげると、好きなこと見つかったり、すでにやっていたことを発見したり、する)

自分の「好き」を取り上げられ、親の「利益」をイヤイヤさせられてきているから、「好き」「楽しい」だけでは、やる根拠がないように感じてしまう

だからせっかく「好き」という取っ掛かりがみつかっても、「これは将来役に立つのか?」「将来利益を生むのか?」という観点でジャッジしてしまい、やらないという決断を繰り返してしまっていて、自分には好きなことがない!と思っているんだよね

それは、好きなことがみつからない、わからないでなく、
好きを自分で却下していることにまず、気が付いてみよう

そして、そもそも「好き」っていうのは「快」であり「快楽」なので
「遊び」であり「ムダ」であり、「役に立たないこと」であり「非生産的」なこと

子どもって遊びます
鬼ごっこ、塗り絵、お絵かき、ウルトラマンごっこ
あと、うんちうんち~、お尻お尻~とか言ってふざけたりするよね、意味もなく
あれはほんと、意味のない事が「意味」

子どもにとっての「遊び」は、考える力、コミュニケーション力、自発性を身に着けたり、子どもの心身の発達に有意義である、という考え方があるけど、それはあくまで結果論、目的ではない

そもそも「遊び」「遊戯」は、「意味」とか「意義」とか「生産性」とか「効率」って、まったく関係ないお話なの

「遊戯の目的は行為そのもののなかにある。
それは、緊張と歓びの感情をともない、またこれは<日常生活>とは<別のものだ>という意識に裏付けられている(Huizinga)」と、80年も前にホイジンガが「ホモ・ルーデンス」の中で定義している

「行為そのもののなかにある」
というのは、遊んでる行為自体が目的ということ、そこになんの見返りもメリットも存在しない、ただ楽しいという感情のみを体感していることが目的

だから、その「楽しい」以外の「利益」を混ぜた時点で、遊びではなくなってしまう
「好き」にも「利益」を混ぜると、やっぱり濁ってしまう

例えばその「利益」のひとつには「他者に好かれる」とか「他者から評価される」「他者からすごいと思われる」みたいなのも含まれていて、見栄や虚栄も「好き」を濁らせて別モノにしてしまう

濁らせてしまうと、純粋に好き!楽しい!という感動がなくなるから、楽しくなくなって、結果的にそれをやらなくなってしまう
だから、「好き」を好きで続けていくためには、「利益」を排除することが必要なの

じゃぁ、お金ばっかり掛かるじゃん!
と思う方は、残念ながらその通り、趣味人と言われる「好き」を中心に生きている方は、お金がかかるもんなのよ

でもね、その好きなことのおかげで、生活が潤って、喜びや活力が湧いてくるなら、元は取れてるんじゃないかな
好きなこともわからない、お金は掛からないけど、ぼんやりした空虚な時間を過ごし続けるくらいなら、お金かけて好きなことやった方が、楽しい人生だと思う

それでも、お金を掛けたくない、利益を追求したいなら、そういう方は、「好き」より「お金」に比重を置いた人生観を持っている方なんです
だから、好きを一旦置いておいて、お金を稼ぐにフォーカスした方が、人生充実する(はず)

「好き」なことをやりたい、みつけたい、と願う方は、自分の求めている事が「体感覚」や「体験」だと知っておくといいかもしれない

それは、賞賛や承認、利益やメリットというような、他者ありきの感覚ではなく、内側から発してくる感覚だから、好きを探してる方は、自分の身体に敏感になってね、身体は、ちゃんと教えてくれるから

コメント

タイトルとURLをコピーしました