自分軸は、太くなくていいし、一本じゃなくていいと思う

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

これ、捉え方のイメージの話なんですが
「自分軸」というと、なんだか

ぶっとい1本の大木が、
御柱のようにぶっ刺さっていて
揺るがない「自分(という巨木)」がそこにある

そんなイメージを持っている方が
多いような気がするんです
(いや、勿論それもいいんだけど)

※御柱(おんばしら
諏訪地域のご神域の四隅に立てられる柱)

私はビリーフリセットという
不要な信念体系を解除する
呪いの解除みたいな
セッションをしているわけですが

どうもこの
「ビリーフ」を「リセット」すると

他人に惑わされない、
揺るがない自分軸(御柱)が
自分の中央にそびえ立つ

とイメージしちゃう人多いの?
と思っちゃうことがあるんですよね

結論から言うと
御柱は立ちませんです
(いや、立ててもいいんだけどね)

なんか、揺るぎない「柱」が
「自分軸」と思ってるなら
ちょっと危ういな、
と思っちゃうんです

固いものは、折れちゃいますもの

セッションを受けてくださる方には
こういう説明をします

人には、色んな性格の
「人格」があります

「副人格」というと
病理的に感じますが
誰の中にも、色んなことを言う
「人格」や「性格」があります

交流分析では
「親」
「成人」
「子ども」
を使いますが

例えば「親」の1人格の中にも
相反する考えや矛盾もありますし

年齢によって、役割によって、
そして、相手によっても
それぞれに意見が異なる場合がありますよね

子どもの頃ならそれでよかったけれど
親になった今は、賛成できない
ということもあると思います

物事には様々な側面があって
受け取り方も様々です

そんな風に私たちは
様々な側面を見つつ
どう解釈をするか
いつも脳内で複数の人物が会話しています

ですので、
古くから使っている考え方と
新しい考えで矛盾することもありますし

感情と思考、身体と思考で
対立することもあります
それは、別に不思議な事ではありません

私は、それらを全部統合していく
必要はないと思うんです

なぜなら、
それらを統合していくことよりも
大事な事は

第一に、自分の中にも
いろんな言い分があることに気が付いて
それに巻き込まれずに客観性を持って居られること

そして、第二に
それらの言い分の中から

今の、これからの自分に
最適な考えや言い分を
健全に選択することができること

これが出来ればいいと思うんです

そして第三に、自分以外の
近しい人、周りの人の意見も聞きつつ
何を採用するか、自分で決めることが出来

それぞれの意見を聞き
柔軟に選択し
決定することが出来る

これって自分軸じゃないでしょうか

私がセッションで目標としていることは
ぶっとい柱を打ち立てることではなく

沢山の意見や考えを整理し
健全な大人の自分として何を選択し、
どれを行動していくか決められること

これが私の目指す「自分軸」です

なので、立派な御柱は立ちませんが
自分らしい、考えや感性を大事にしながら、
宝物を集めるように、自分はコレ!
を紡いでいって頂きたいな、
という気持ちでセッションをしています

私の中の自分軸のイメージは
バイオリンやギターの弦のように
軽やかに弾むように音を奏でる

そんな、しなやかで軽やかなイメージです

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