「うーん、嫌いじゃないんです」
お話を伺っていると、
そんなお返事が返ってくることがあるんです
これを伺うと
「あぁ、嫌いじゃない…んですねぇ」
と返しつつ、私の中では、
もんにゃりしております(伝われ..)
「嫌い」って直球
ストレートです
「イヤだー!!」
赤子の叫びのような鮮烈な「嫌い」
街中で、腹の底から
「イヤだ!」を叫び
エネルギーをほとばしらせている
子どもを見る度に、いいなー
眩しいなーと思ってます
(お父さん、お母さんが
大変なのは置いておいて)
この「嫌い」には
むしろ無邪気さや高潔さ、
みたいなものを感じるのです
反してこの「嫌いじゃない」
という表現、
不思議だなぁと思うわけです
「嫌いじゃない」ってことは
「好き」なんですよね?
でも、ストレートに
「好き」とは言わない
日本人的な婉曲表現や
文学的表現でもない
しかしながら、選ぶ言語には
必ず意図がありますので、
この言語にも必ず意図があるはずです
逆に「好きじゃない」を上げてみると
こちらは、意図が汲みやすい
「嫌い」というネガティブな表現は、
表現しない方が良い
とされる風潮がありますので
「それ、好きじゃない」は
ストレートに「嫌い」を使わない
人を嫌な気持ちにさせない思いやり
として、意図が汲めます
つまり、本心は「嫌い」です
「嫌い」という強い表現を
敢えて用いない
でも、伝わる感情は「嫌い」です
では、「嫌いじゃない」は?
敢えて「嫌い」という
ネガティブ表現を用いて
それをわざわざ否定するという
めんどくさい表現を用いたのか
先ほどの例を用いるならば
つまり、本心は「好き」なはず
ここで、なんだよ
本心は「好き」なんじゃん
恥ずかしがり屋さんめ!!
と思えないのは、
この「嫌いじゃない」を
発していた方々が
眉間にしわを寄せて
「嫌いじゃない」
と言っていたからなんだよな..
それ、通常は「嫌い」の表情
と受け取るんですが…
うん、わかりません
想像としては
好き?嫌い?と、問うてみた時に
好き!!というほど振り切ってない
(嫌い)0-100(好き)
の段階で言うと
30以下ではないんだけど
90以上でもない
そんな感じ?
それとも、本当のこというと
10以下で実際の所
「嫌い」に属してるんだけど
「情」やら「関係性」やら
「時間」やら、諸々の事情があり
「嫌い」と断言するのは憚られる
そんな感じ?
いやー、実際のところは
伺ってみないとわからないんですが
私の印象としては
「断言」を避けた、と感じるのです
それは「好き!」を
軽々しく使いたくない
「好き!」を大事な事として
重く捉えているから、とか
「好き!」と単純に用いるには
気恥ずかしいみたいなものも
勿論あるのかもしれない
夫婦みたいな関係性になると
好き嫌いの間柄じゃない
みたいな話もあるしねー
そして、諸々積み重なった関係だと
単純に好きだけの感情でもない
という気持ちもあるのかもしれない
その複雑な人の気持ちも
そうだよな、そう単純に
割り切れるものでもないよな
と思ったりもします
でもね
その「嫌いじゃない」
一旦「嫌い」カテゴリに
入れてみて欲しいのだよー
「嫌いじゃない」
慎重に言葉を選んで
心にフィットする表現を
したのだと思うのだけど
だけどー
その微細な「イヤだ」が
そのイヤだを、自分でも知らないうちに
我慢していることが
あなたの魂のエネルギーを
曇らせてたりする
感じていいんだよ、その違和感
イヤだ!って肚の底から感じると
鮮烈なエネルギーが湧き上がってくる
それを抑えつけている方が
よっぽどエネルギー浪費しているんだよー
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