「気配」の正体

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

10代の私は札幌に住んでいました
「札幌」というと都会と思われることが多いのだけど、どっちかというと都心よりは定山渓温泉の方が近いくらいには、ど田舎(というか原生林というか山)側の札幌です

家から札幌駅まで出ようと思うと、バスと電車で1時間半掛かるんですが(地方都市の1時間半がどのくらい遠いかをご想像ください)それでも一応札幌市内(支笏湖の手前まで札幌市ですのでね)くらいの僻地です

山の中腹にある中学校まで熊笹の生い茂る山道を漕いで行き、春は毛虫がさなぎになるのを見守り、オタマジャクシが大量のカエルになるのを見守り、夏にはそのカエルたちの大合唱を聴き、秋になると制服にイガイガがいっぱいくっつき、冬になると獣道が雪で閉ざされ表側の交通量が多い道から遠回りして学校へ向かう、そんな日々を送っていた頃、母のもらって来たマルチーズ(♂)と一緒に暮らしていたのです

彼(犬)はよく、居間のソファーで私と座っていたと思ったら、ふと思い出したように玄関のマットに場所を移していました、そしてしばらくすると父が帰ってくる

私は、彼(犬)が、玄関マットに移動すると、味噌汁のお出汁を温め直し、野菜を切り始め(味噌汁担当)お漬物などの常備菜を冷蔵庫から取り出し、夕食の下準備を始めます

前後して、買い物袋を提げた母が慌ただしく帰宅し、彼(犬)は、祭り状態ではしゃぎ始めます、それがいつもの光景でした

で、常々不思議に思っていたのは、何を感知して彼(犬、もう略していい?)は、玄関マットに移動するのか?でした

何度かの観察で、彼が待っているのは母ではなく、父であるという結論は出ていました
母が夜勤の日でも、家にいる日でも、彼の行動は変わらなかったからです

こんな行動って、ペットあるあるだと思うんです
動物って、ヒトには感知できない何かを感じているんだよねー、そんな話をよく伺います

では彼は、何を感知して玄関マットに移動しているのだろうか
その回答の一端が示された記事がありました

何となく感じる「気配」の正体? 「準静電界」とは

「音が聞こえた訳でもないのに、振り返ると後ろに人が立っているなど「気配」を感じることがある。」

この気配の正体が「準静電界」なのではないかという仮説を立てた方がいらっしゃる(んですよ!)東京大学, 生産技術研究所, 特任准教授の滝口清昭氏です

体内では脳から指令・細胞への伝達・筋肉を動かす際に電気が発生している。
私たち人間を含む全ての生物は生命活動をする事によって常に準静電界をまとっている。
人間はその準静電界を耳で感じ取っている可能性がある。

これって、我々がオーラとか雰囲気と呼んでいるものではなかろうか…
そしてそのオーラ(?)「準静電界」を、私たちヒトは、耳で感じているらしい(耳大事にしよ)

そして、まさかの私の疑問の答えが論文になっていた
犬は主人を電界で見分ける? : 歩行による人体の電界発生とその伝搬

要約すると、

犬猫等が嗅覚とは考えられない遠方などの状況下でも主人の帰宅を感知する現象が、経験的に知られている
しかし犬は低周波音に対する感度が人間よりも低く、また足音自体の情報量も個人識別するには不十分で音以外に原因があるだろうと推測されていた

嗅覚でも、聴覚でもない、何を感知しているのだろう?

滝口氏は、歩行時に人体から発生する準静電界が、個人固有の歩行運動の微細な特徼を正確に反映することを見出し、犬猫は個人固有の「準静電界」を感知しているのではないか

と論じており、その検証の経緯はぜひ論文を参照してください

でね、この論文を拝読していて、やはりな、という印象だったんです
きっと、そういった身体から電気信号のような何らかの波長や、パターンみたいなものがあって、私たちヒトもそれをキャッチしている

子ども、特に生まれる前から7歳くらいまでの子どもって、言語じゃない非言語領域から吸収している情報が滅茶苦茶多いのを感じている

それはほんとに、意図せずに、自然に、何のジャッジも先入観もなく、水や栄養のように吸い込んでいる

それはきっと先に書いた「準静電界」のような、ヒト個人に属するオーラ領域であったり、そのヒトとヒトが交流するときに起こる「電場」や「電界」、そして、土地の植物・鉱物の持つ「電場」や「電界」、もしくは土地に存在する風土を成す「微生物界」なんかも含んでいるような気がしている(根拠はないよ、でも土地によって匂いって変わるから、土地土地で違う微生物がいるんだろうと思ってる)

それらの目に見えない微細な電子の振動たちを、幼い日の私たちは、誠に丁寧に拾い集めては、自分の一部として取り込んでしまうからたちが悪い

その非言語領域(ノンバーバル)からの情報を、なんの可否も適否の審査もせず鵜呑みにして、世界観を作り上げてくる、それが私たちなのだ

どんな集団でも家族でも、ひとつのため息も、ひとつの愚痴も、ひとつの怒りも憤りもない、なんてことはあり得ない
どんなに良い親だとしても、まったく疲れないはずはないし、365日24時間笑顔がキープできるわけもない(それが普通だしそれでいいんだ、今「親」の方心配しなくて大丈夫ですよ)

そしてそれは、超未熟児で生まれて来て、腹側の迷走神経を後天的に育てなければならなかった、私たちヒトという種の生き残りの戦略において、幸せを感じる、楽しんでいることより、不安になる、恐怖をより感じる事の方が、生き残る率が高かったことに通じている

つまり私たちは、見えない領域の、結構膨大な量の「電界情報」を感じ取っているわけで、案外見えない領域に潜在意識が左右されている可能性が高い
そして、私たちはネガティブな情報を重要と捉えていくくせがある

「半径8m以内に人が居ると、ヒトはそれを感じている」という話をHSP傾向の方にすることがよくあるんだけど、必ずびっくりされるのよ
都内ワンルームなら、上下左右8m以内に人が居たりするんだよね、そんなことすら私たちはストレスと感じている場合もある

見えない領域というと、なんかスピリチュアル的に感じられて、うさんくさと感じてしまう気持ちはわかるんだけど、見えない世界を整えていくことで、生きづらさが軽減されていくことも、もちろんあるので、こういった話はもっと周知されていいのになと思ってます

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