私たちは、善悪も教えられずに叱られてきた

ビリーフ、思い込み、価値観、観念

私は、大人を対象にしたセラピーを行っているので、子どもと直接やり取りをするわけではない

だけれど、大人たちのインナーチャイルドと対話を重ねてきて、子どもの心理が見えてきたことも多くてね、最近興味深いなと感じたのは
「理由をちゃんと説明されて、叱られてきた子どもは少ない」こと

例えば2,3歳の子どもは、所有の概念が出来上がっていなかったり、相手の事を考えられなかったり、言語で伝えることが出来ない

(当たり前だけど案外ここを忘れてしまう養育者は多い気がしてる)

そうすると、相手の持っているものが、自分にとって魅力的だったら「手を伸ばしてつかむ」そこに悪意はない
「素敵」だから「つかむ(自分に近づけたい)」それだけ

そこには物欲すらない気がしている
ステキねと「魅了され」もっとよく見たい、知りたいという「興味関心」だけ

しかし、大人はその状況を「相手のものを奪う、いけない行為」と見てしまう

大人は善はOK、悪はNGの概念が出来上がっているからね(でも、子どもには善悪の概念はまだない)

そうすると「素敵だなと憧れのような感情を抱いたら」突如「ダメでしょ!返しなさい!」と大声で怒鳴られたりするのだよ

親や養育者は、他者とトラブルにならないよう、きちんと善悪を教えて、しつけなければと考えて叱る

それは愛情に由来するのだけど、子どもから見ると「素敵だな、いいな」と欲求のままに手を伸ばしたら、いきなり意味も分からずに叱られることになる

(何度も言うけど、3歳に善悪の判別はつかないのです、小学校低学年くらいまであいまいです

中には、1、2歳でこれをすると怒られると理解している子は居るけれど、それは善悪の判断をしてるのではなく、親の顔色を伺っているだけ、叱られたくないから、というだけ)

普段食事を与え、世話をしてくれる、優しいはずの親が、血相を変えて怒鳴ってる
何か、ただ事ではない何か事件があったのだ

そして、なんだかわからないけれど、その理由は自分にあるはずなのだ、だってお母さんは、私を見て怒っている

理由はわからない、でもお母さんがあんな顔しているのは、ただごとではない、どうしよう!!

だって、子どもからすると、意味がわからない
「奪う」それ以前に「所有の概念」を知らないのだから
「所有の概念」も知らなけりゃ、「自分と他者」という視点も知らない

そんな無知な状態で「善悪」なんてわかろうはずがない

「所有」の概念を学ぶには、まず自分が思う存分「所有」する満足を得る必要がある

この満足を得ることで、それを得る満足と、それが得られない悲しみを学ぶのだ

ここをすっ飛ばして、相手の所有を尊重しろと言うのは、満足を得ないまま、悲しみや不全感、欠けた感じを強要されること、そんなの本来無理な話なの


「所有」すら、わからないけど、親が怒るから、きっと自分がやったことはダメな事だったんだ、悪い事なんだ

「素敵だな、いいな」と手を伸ばす事は、親が喜ばないんだと、子どもの思考力で理解できる範囲のツジツマ合わせをする(そしてそのツジツマは、大抵において論理的ではないし、非合理的)

実は、こんな体験が「自分の要求を伝えてはいけない」、というビリーフ(制限をかける思考)につながっている、なんてことは結構あるあるなのです

自分のもの、人のもの、という所有の概念や、いけないこと、ダメなこと、という善悪の基準というのって、実はちゃんと理解できるように説明されてきてないんだな、と驚くんだよ(多分、自分もされてない気がするけど)

そして、養育者は「所有」や「善悪」を、知っているのが当たり前と捉えている

けれど、ついこの前まで、お母さんや世界と一体化していた存在が、いきなりへその緒切ったからって、自他の区別がつくかというと、そんなわけないじゃないですか

ましてや「所有」や「善悪」なんて高度な概念、分かってるはずがない

そこに「要求」とか「欲求」が絡まり合って、妙な方程式になっているケースがとても多い
(このあたり、ちゃんと親や養育者に教育をした方がいいと思うんだけど、教えてもらえる機会ってあるの?)

ちなみに「他者視点(相手のものの見方を想像する)」は、3歳までは出来ません
4歳ころから、徐々に獲得していくと発達心理学では言われています
だから、相手のものを取ってはいけないなんてわかるの理論的には4歳からだよね

(実際はもっと幼くてもわかっている風の子も居るし、小学校高学年になっても、人のものと自分のものの区別できない子はいたよね)

この他者視点(相手のものの見方を想像する)機能していないお大人もたくさん居るし、他者視点ばかり獲得してしまって、自分視点が全然育ってない方もいる
要するに、ちゃんと説明されて理解してきている人は、ろくに居ない

「所有」や「善悪」「要求」なんて高度な概念、分かってるはずがないのに、なんとなく知ってる風に大きくなってきた私たちですが、それをなにから学んだかというと、大体は「親(保育園、幼稚園の先生、周りのお友だち)の機嫌や気分」からですよ

親が怒ることはダメなこと、くらいの浅い認識のまま、私たちは生きている部分がある何も知らないままに理解した、非合理的で妙なツジツマ合わせのままで、それが正しいと信じてしまっていることがあるのよねぇ..

さて、お子さんを育てた方なら、子どもが欲しがったものを買わない時があったと思うんです、そんな時どうしてました?

「また今度ね」「次に来たらね」そんな風にごまかしたり
「ダメ」「買えないの」と強引に引っぺがして連れて帰ったり、
泣き喚いて大変だった記憶がある方も、今現在が大変という方もいらっしゃるかもしれないですね

これもあるあるなんですが、お店にあるものにはすべて値段がついていて、お金を払わないと持ってこれないこと、ってあまりお子さんに話をされたこと、もしくは自分が説明されたことってない方の方が多いんじゃないかな?

お母さんやお父さんは、なぜお金を持っているのか、仕事とお金の関連や、お金には制限があって、無限に欲しいものが買えるわけではないことって、ちゃんと言葉で説明されてきている子どもって少ないようです

制限があるとわからないから、何でも欲しがったり、逆に欲しがったら怒られるから、欲しいものを欲しいと言わない、という子も居たりする

もし、お子さんをスパーの売り場で騒がせたくないなら、その子が欲しがるものを理解してあげて欲しい

どんなところが素敵だと感じていて、何に魅力を感じたのか、聴いてあげて、共感して欲しい
「あぁ、このイラストが気に入ったんだね」「この色がきれいだなと思ったのね」
「でも、欲しいもの全部買って上げることはできないんだよ」
と、どこかで説明してあげて欲しい

素敵だー!と盛り上がった感情を受け止めてもらうことが出来ないままだと、その子はその感情がなんなのか、そしてどう扱っていいのか知ることができない

それが素敵だ!かわいい!という感動であったり、そばに置きたい大切にしたいという、所有の欲求であったり、その気持ちの正体を教えて上げられるのは、養育者である大人だけなんです

そして、自分の手に入らないという悲しみも、教えて上げなきゃわからない
その感情を一緒に体験し、言語化して、身体に溢れる情動というエネルギーの処理の仕方を教えて上げなければ、子どもっていうのは、本当に何もわからないんです(何もわからないってことが、大人はわからないわけです、これがすれ違いを生む)

なんだか大人たちは、子どもが「欲しい!」というと、全部買って欲しいのだと思ってしまうのだけど実は、素敵だという感動を共有して欲しい!自分はこれが好きなんだってわかって欲しい!と思っていることも多い

「ダメだって言ってるでしょ!!」
と一方的に怒られると、ポジティブな憧れや感動まで否定されてしまったように感じるみたい

子どもって、共感して一緒に体験して欲しい、と願う生き物みたいなんです
どうか、その時間を取り、まなざしを向けて上げて欲しいなと願っています

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