「自分を愛する、自分を大事にする」
色んな所で言われてきていて、大事なんじゃろ、そりゃそうや、と思ってもいた、しかしながら、
「自分を愛する」
そうかやってみよう!そう思ったときに
何をしていいか、さっぱりわからなかった
簡単な1文で書いてあるその言葉の、意味は分かるけど、具体的に何を指しているのかが、わからない
ちなみにそのほかには
「自分を許す」
「自分の欠点を受け入れる」
というのも、よくわからなかった
許すも許さないも、一心同体自分じゃん、許すってそもそも何?
欠点を受け入れるも何も、それこそ自分じゃん、どうすりゃええねん、って思ってた
IQや読解力の話ではない、なにをすればいいか、どうすればいいかが、その当時何にも書いてなかった(15年位前)
私の持論として「現実に抗うから苦しい」というのがあるんだけど、そのときの自分、もう自分とは戦っていなかった
それはそれで仕方がない、そういう自分が自分であると、諦めをもって静観していたので、甘んじて受け入れていたと言えると思うのだ
でも、自分を「愛して」いるかというと、そうではなかったし、「大事に」しているかというと、全然大事にはしていなかったよね
そもそも、「愛する」とは何かをGoogleさんで調べると
かわいがり、いつくしむ。「子を―」。心から大切に思う。
ふむ、なるほど
かわいがり、いつくしむ、か
では「かわいがる」とは何かをまた調べると
かわいいと感じて、やさしくあつかう、また、大事にする。
「いつくしむ」は、
かわいがり大切にする。いとおしむ。
「大切にする」は、
重要な、価値のある、かけがえのないものとして扱うさま
などとあった
また、「大事にする」は
自分にとって重要・大切なものとして、丁寧に扱う、といった意味の表現。だった
重要で、価値のある、かげがえのないものとして、優しく丁寧に自分という存在を扱う
それがどうやら、自分を愛する、大事にするということのようであった
ふむ、それは確かにできていない
かけがえのない、他に代わりがないほど大事な存在..
私にとって、そんな存在があるだろうか..と自問すると、うーん、親だろうか
かけがえのないものとして、優しく丁寧に親を扱っていただろうかと考えると、いや出来ることはしてきたつもりだったけど、かなり粗末に扱ってるね、ごめん
当時の自分にとって、そんな存在はいなかった
自分どころか、誰一人として「愛しても」「大事にしても」いないことが判明してしまったのだ
そして、そこから私が心がけたのは
「親切で、優しく、丁寧に、人に接する」ということだった
自分に丁寧にというのはちょっとわかりにくいけど、隣の人を親切に扱い、丁寧に接することは出来そうだった
そしてそれは、緩やかに私の周りの人間関係を変えていった
まず、周りの人が優しくなった
そして、敵がいなくなった
いやな事はなくなった、イヤな人もいなくなった
でも、ずっと自分の人生を生きていない感じがしていた
そこで、次に私がやったことは「自分を知る」ことだった
続くよ~
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