ミッションが見つけられなかった私の勘違い(1)

ミッションや使命

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じゃぁ、なんでミッションや使命、あれほどほしいと願ったその時、見つからなかったか
理由は3つある

まずひとつめ
それは、そもそも「ミッション」とか「使命」の「意味」を勘違いしていたから

何か「大きなお題目」のために、例えば
世のため、人のため、地域のため、女性たちのため、子どもたちのため、自然のため、未来のため、歴史のため、地球のため、宇宙連合のため、人生を懸けていく価値のあるものだと思ってた

でもね、世のため、人のため、ってのは、別に関係なかったよね
ほんとに、自分で何度も言ってるくせに自分のことは見えないんだけど、主語がでかい話は大概がビリーフだよw 宇宙の前に自分なw

なんか、大きなお題目があると、すごい感じがしてすごいと思ってた(語彙力)らしいんだけど、それって、単に「見栄」でしかなかった

自分に価値を見出せないから、なにかすごく見える「張りぼて」、大きく見える「高下駄」が欲しかっただけだった

だから、ビリーフ外していくと「すごく」も「エラく」も、全然なりたくなんてなかった!ことに気が付いた

だから、主語は必ず「私」
私が、私のために、私の時間を使いたいこと、それがミッション

そして、ふたつめ
もう一つの勘違いは、ミッション、使命は「人生を懸けて」いく「価値」のあるものだと思ってたこと

「人生を懸けていく価値があること」と思ってたけど、それはもう完全なるビリーフで、「人生懸けなくて」いいし、「価値」なんて別になくていい(いやもちろん、あってもいいけど、最初はほんのちょっとした、気やすめだったり、気まぐれだったり、気の迷いだったり、ってこともあるよ)

ひとつのことを途中で辞めてはいけないビリーフってのを、どうやらいろんなことを「道」に昇華するくせのある日本人は持っていて、途中で辞めたり方向転換したりということを、あまり良しとしない風潮というのも一部の老人には、いる

でも実は、ミッションって、刻々と変化するし、変化していい
というよりはむしろ、変化していくのが当たり前
変化しないでいることのほうが、この時代には難しい気がしている

そして、ミッションって言い方をすると、なんだか大仰で壮大な感じがしちゃうけど(そんな人もいるだろうけど)

一般庶民(私)の最初に感じるミッションの欠片って、とっても小さなものだったし、我ながら何やってるんだろう…と思ってしまうようなことも沢山あったよ(例えば、チャネリング学んでみたい!とかね)

でも、それがどこかで意味を持ってくるような、学んだことすべてが、点と点がつながるように、意味を成していくことがある

そしてなぜか、その時の自分にふさわしいサイズでしか、ミッションは現れない
だから、まだ自分がそのサイズを扱えるにふさわしい大きさでなければ、壮大なミッションは目の前には現れないのよ

最初はみんなミニサイズ、それがミッション
そして、それは長く続けることが大事なわけではないよ

長くなったので続くねー

コメント

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