雨に降られるのは好きですか?

五感・感性・感情

出かけた先で、雨が降ってきた

すでに行く途中から、細かな雨粒がメガネについてはいたけれど、私は天気に無頓着で、いつものように傘を持ってきていない

帰りしな、傘大丈夫ですか?と聞かれたのだけれど、
「(持ってきていないけれど)大丈夫です」と答えて帰ってきた
濡れて帰るより、人に傘を借りる方が面倒だから

うちの夫さんは、雨が降ることや天気を、とても気にする人で
私はその、天気に一喜一憂している姿を、不思議なものを眺めるように見ている

天気なんて変わるのが当たり前のものに、いちいち感情を動かされていては、大変ではないのだろうか、と妙な心配をしてしまう

確かにタイに住んでいた頃は、雨が降ると交通網がストップしてしまうので、出かけるのをやめたりしてはいたけれど、ここ日本ではそこまでひどいことにはならないから、雨が降ったから予定を変えようとも、あまり考えていない

わからないのだ
雨の何が、そんなにイヤなのかが

多分、濡れるということがイヤなのだろう
私は、濡れたら拭けばいいではないか、程度に考えている
濡れること自体があまり不快とは感じていない

例えば、寒い季節に雨に濡れると、寒くて不快だし風邪も引きそうだから、あえて濡れることはしないし、まぁ防ごうとも思う
でもそれは、雨に濡れるのがイヤというよりは、寒いのがイヤなのだ

しかし、この温かくなってきた春の季節に雨に濡れるのは、私にとってそう嫌なことではない
むしろ、濡れても寒くない、春がきたねと、ちょっと気持ちが華やいだりもする
「春雨じゃ、濡れて参ろう」の言葉のように、春を楽しむひとつとして、雨に濡れたい気分のときもあるのだ

でも、なかなか理解されにくい感覚っぽいぞ、ということも少しづつ分かってきたし、世間では濡れたくない人のほうが多数で、私は自分の世話の出来ない子のように、人から傘を与えられて、人から頭を拭かれてきた半生を過ごしてきている

それはそれで、ありがたいし、恩恵を受けてきている
世の中には、世話をしてあげたいと思う人も少なからずいるわけで、私のように、自分の世話がいまいち雑だった人種は、そういう方々の世話の対象として頂けることが多かった

しかし、自分の世話がそこそこ丁寧に焼けるようになった今でも、やっぱり雨に濡れたいときもあるし、雨に濡れるのが不快とも感じていない

それは、春の温かい雨の中、卵から孵ったおたまじゃくしを見ていた、幼い日を思い出すからかもしれないし、自然とのつながりを感じられるからかもしれないし、雨に唄えばのワンシーンを思い出せるからかもしれない

まぁ、理由なんてどうでもいいね
私は、春の雨に濡れるのが好きなのだ

雨はその後、本降りになって、回り道をした駅についた頃にはずぶ濡れになっていた
傘を持たずに出て、ずぶ濡れになっている会社員が多かったので、私の姿はさほど奇異には感じられていなかったと思う

私は、小さな満足を抱えて家路についた

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