本当は敏感なのに、鈍感だと思い込んでいる人たち

HSP、繊細さとつき合う

映画を見てきたの「センシティブ 語られなかった物語

世界的ベストセラー「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」の著者で、心理学者のエレイン・アーロン博士が、様々な実例を挙げ、センシティブな人たちが他の人と違う事で、何に困ったり、つらい思いをしているのか

他の人たちは、センシティブな人と関わる際に、どのように困っているのか
両者の理解を助ける橋渡しとなるような、センシティブな人(特に子ども)の特性にフォーカスした内容

歌手のアラニス・モリセットさんが、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)であると公表され、家族と共にインタビューに答えている

2017年ある書籍に出会い、私は自分がセンシティブ、繊細であるという可能性に気が付いた
その本のタイトルは「鈍感な世界に生きる 敏感な人たち (Highly Sensitive Person (HSP) )
当時、悩んでいた私の特徴にほぼ一致していた

最近ではお笑い芸人や有名人がHSPであると公表したり、扱う書籍も増えたし、一般にもその傾向が認識されてきているように感じている

が、2017年の当時、本当にしんどかった時には外に出られなくて、このままだったらどうしようかと心底心配になっていた私に差した光明だった

例えば、私の場合は
・光が眩しくてサングラスなしに外を歩けない(サングラスしても涙が止まらない)
・走る車の音が怖くて高速道路わきを通れない
・人ごみに行くとなんだかわからないけど具合が悪くなる
・勝手に何かに反応して涙や震えが止まらなくなる
・入ってくる情報が一気に増えるとフリーズして思考停止
・車内の誰かの柔軟剤や香水で頭が割れそうに痛くなって、最悪嘔吐

人や物が多いところにいると、それらの情報量に圧倒されて、パンクすると鼻血が出たりして
頑張って情報過多の中にいると、翌日は丸一日使い物にならなくなった
とまぁ、とにかく東京で暮らしていくのは、無理なんじゃなかろうかと思ったりもした

これまでどうやって生きてきたの?と思われるかもしれない
私の場合は、それまで感覚を感じないように封印してそれまでの人生をしのいでいた

感じないようにフタをして、さらなるノイズで上からコンクリで固める
そんな風に、多量のカフェイン、アルコール、糖分、刺激物やファストフード、テレビやネットニュースで、閉じた感覚器官をさらにマヒさせていた

ずっと、痛みにも強かったし、肌も内臓も強いと思っていた
性格もキツければ、暴力的だし、喧嘩っ早いし、人の事は考えないし、生きてれば多少のストレスは必然と思っていたし、自分は図太くて、ずる賢く立ち回る、繊細とは全く紐づかない人間だと思っていた

嘘偽りなく、思ってたんだよ
それが、実は違ったの

きっかけの一つは、タイに住んだこと
激烈とも受け取れるタイハーブや、濃厚なタイの果物たちに魅せられて、自分の身体に入れるものを真剣に考える事が出来た

あの国のおおらかさと気温、犬も猫ものんびりと道を歩くのどかさに、私はそれまで生きてきた戦闘モードを3年かけて解除してきた(もちろん、意図してやってきたわけではないから時間が掛かっている)

そして、きっかけのふたつめは、2016年本郷綜海さんのリトリートに参加したこと
カフェイン、アルコール、砂糖、スマフォ、本、一切の余計なものを排除し、山の湧き水と、その山で摂れた山の幸のみで3泊4日過ごして帰宅すると、身体がカフェインを受け付けなくなっていた
(もちろん、リトリートでの体験もすごかった、昔書いてるからこの辺↓から読んでみてね)

そこから2017年、本格的に自分の潜在意識と向き合い、ビリーフをリセットし続け、自分の抑圧していた感情や感覚に気がついて行くと同時に、その器官を開放してきた

そして冒頭の2017年夏
度重なる発熱と共に、徐々に感覚器官が開いていった
開いたはいいが、徐々に通り過ぎてHSPと思しき状態となっていってしまった

なにがなんやらわからない中、その本のおかげで私は、HSPである可能性に気が付き
それを認め、受け入れる事で、対処を学ぶことが出来た(ココ大事)

そして、心理療法と共に身体と徹底的に対話をし、光を当て、身体から癒していくことで、今はHSPでの困りごと自体は、ほぼなくなっている

いや、臭いは相変わらず苦手だし、眩しいのも苦手なのは変わらないんだけどね
何に対してストレスを感じるのか、何が疲労につながるのか、そして自分のキャパがどのくらいかという事が明確になったから、それに対応することができるようになった(例えば、サングラスや耳栓、エッセンシャルオイルを持ち歩く、疲れ切る前に休む、みたいなね)

たかがそれだけなんだけど、理由もわからないまま限界を迎えて、いらだったり、疲れ切ってへとへとになって道端に座るような事はなくなったし、それは自分と他者との関係を守り、ひいては自分の世界を安全に保つことにつながっている、

だから、自分の特性を客観的に把握し、理解していくことは、自分を大事に扱っていく上で、とても大切だと思ってる
そうなんだよ、本当は敏感なのに、鈍感だと思い込んでいる人たちってのは、私の事

そして、実は気が付いていないだけの、あなたのことかもしれない
ちょっと続けるね

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