生きることは神聖なる行為

からだとこころ

昨日の記事を読んだお友だちの
シンガー/ライターあやめちゃんから
朝メッセージが届いた

今回のブログ
ちょうど菜の花食べながら読んでたよ

菜の花の緑の美しさと
彼女の創る繊細なお料理が浮かぶ

彼女の言葉や、うたの表現は
繊細かつカラフルで
様々な花の咲くお花畑を
水彩画で描くよう

全然伝わりにくい表現で
申し訳ないのだけど

ひとつひとつ丁寧に筆を置き
色を重ねていくようなイメージがある

だから、彼女の書く文章も
彼女の歌う声も、なぜか色彩が浮かぶ

神聖な場にも用いられてきたました
になってたのでいちおう伝えるねー

淡いラベンダーや黄色
ミントグリーンが浮かぶのを見ながら

あぁ、そうそう
食べることって本来
「神聖」な行為だよね、と感じた

食べることは、自分の身体をつくること

私たちは、毎日
自分の身体をつくり上げている

だから、聖職者は食べることを律し
食べることすらも
修行にするのかもしれない

この、ひとくちが自分になる
そんな神聖な行為を
本来私たちは日々行っている

はずなのだ、が

身体の求め以上に
過剰に甘いものや油分の多いもの、
保存のために使われた
本来、身体に不必要なものを
無警戒に体に入れている

なるほどね、これでは
自分を大事に出来ていないはずだわ

そう、本来生きるという事は
全て神聖な行為であり、
自分を大事に扱う行為

食べること、寝ること、排泄すること
は、もちろん

掃除すること、洗濯すること
快適に過ごし、清潔に過ごし
それをキープする行為というのは

全て人として人生を全うするために
必要不可欠なこと

基本を疎かにしてはいけない
よく言われることだけど

食べること、寝ること、排泄すること
そんな、ただ「生きる」行為それ自身が
とても神聖なる行為で

「幸せに自分らしい人生を生きる基盤である」
ということも
いえるのかもしれない

コメント

タイトルとURLをコピーしました